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    あるならず者(革命家)への想い(サムエル下20:1-20)
 聖書は面白いですね。いろんな事が書いてありますから。イエスがこの世に少し早く来られてしまいまして、それ以後のことを聖書に書き残せなかったのはとても残念です。例えば、ロシア革命やホロコースト等も書かれたらとても面白かったと思います。私自身は日常生活のことを占い師のように聖書からその答えを求めておりませんが、今回のテロ事件とその一連のことを見ますと、聖書にその類似事件があるとしたら何処の部分か少し気にはしていました。そして、今日の聖書を見つけ、これだったら少し似ているのではないかと思いました。
 とても面白い部分ですが、先ず、登場人物を見ましょう。最初に登場する人物は「シェバ」という人です。彼は反逆者であり、ならず者と言われています。1節です。彼が本当にならず者であったのかということが今日の焦点になる所です。もしかしたら、生まれた時代が違っていればシェバは預言者なり、メシアにもなったかも知れません。次は「ダビデ」の登場です。3節です。ここを見ますとその時代はダビデの時代であったのが分かります。ダビデ執権の中期に当るかも知れません。その次、「アマサ」と言うダビデ軍の司令官が登場します。4節以下です。この人は今の、アメリカのパウエルのような者です。ダビデはこの人を通して、3日間の間、ユダヤ全土から鎮圧軍を徴集するように総動員令を出します。そしてその次、アマサの従兄弟である「ヨアブ」が登場します。8節以下です。この人はダビデ軍の元司令官でありましたが、ダビデの命令なしにある人を殺してしまい、司令官職を止めさせられました。功名心と嫉妬心がとても強い人物で、「殺し屋」でもあります。アマサもこのヨアブに殺されます。ヨアブが殺し屋と言ったのは私がつけた別名ですが、サムエル記下3:27では嫉妬心でアブネルを暗殺します。又、サムエル記下18:10-15ではダビデの王子アブサロムを殺したと書かれています。そして、今日の主人公シェバもこの人の策略で殺されます。最後にシェバが避難した町の「知恵のある女」が登場します。勿論それ以外の人も登場しますが、今日は省略します。この知恵のある女がシェバの首を打ち落とすのですが、その陰にヨアブの陰謀があります。サムエル記を書いた著者はシェバを「ならず者」と書き、この女を「知恵のある女」と書いています。この二つの言葉使いを見ますと、私たちは著者がどの立場にいるのかはすぐ分かります。例えば、今回のテロ事件でビンラディンをならず者として見る側がいます。それは権力側のダビデ寄りの立場です。
 ここでこの個所をどう読むべきかの問題に直面します。少なくとも百人町教会の私たちは権力側が流している情報をそのまま鵜呑みはしておりません。せいぜい中立の立場か、逆の立場から読む場合が多くあります。その試みをここでやってみましょう。所謂反権力の立場からです。そうすると、直ぐ、シェバはならず者から革命家に変身します。知恵ある女はとても利己的で愚かな平和主義者であるのが分かります。勿論、ダビデやヨアブというものはほぼ似通った人物で、権力志向主義者、独裁者になります。
 もう少し具体的に見てみましょう。今日の聖書から3ヶ所を選んで見たいと思います。第一は、シェバの反逆の呼びかけです。反逆は反権力側から見ますと革命になります。ですから彼は今のビンラディンのような人物であったかも知れません。彼は1節の後半で次のように述べます。「我々にはダビデと分け合うものはない。エッサイの子と共にする嗣業はない。イスラエルよ、自分の天幕に帰れ。」そして2節を見ますと、「イスラエルの人々は皆ダビデを離れ、ビクリの息子シェバに従った。しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで彼らの王につき従った。」。当時におけるイスラエルとユダの対立構造が見える部分です。北イスラエルの人々のダビデによる支配の拒否というのがなんとなく分かります。彼が何故反逆したのかについては具体的には説明されておりませんが、2節の所から潜在的な対立や具体的な被支配者としてのある共通の認識がイスラエルの人々の中には存在していたように見えます。しかし、シェバの反逆の内容には王位争奪のクーデターのようなことは何処にも書かれておりません。従って、この事件は、王位争奪戦とは違った民衆の反乱であり、革命の試みであったと思われる部分です。従って、今日はこの事件の主人公をならず者ではなく革命家として読みたい、認めたい気持が致します。
 次は、その後のダビデの行動です。3節の所を見ましょう。「ダビデはエルサレムの王宮に戻ると、家を守るために残した10人の側女を集め、監視付きの家に入れた。彼は側女たちの面倒は見たが、彼女たちのところに入ることはなかった。彼女たちは死ぬまで閉じ込められ、やもめのような生涯を送った。」。いきなり登場するこの物語は何を言おうとしているのかははっきり分かってはおりませんが、家を守るために残した10人の側女が登場し、彼女らに対するダビデの行動から何かが読み取れるのではないかと思います。そこには権力者の欲望による、神の掟とは相反する不平等・非人権を前提とした、権力型所有権の維持がみられます。
 これまでアメリカは世界的不平等を維持するため世界的支配体制を作って来ました。例えば、梅林宏道氏著『アジア米軍と新ガイドライン』(岩波ブックレット463)、には次のような文章が引用されております。「われわれは世界の富の約50%をもっている。しかし、人口の6.3%を占めているに過ぎない。このような状況の中で、われわれは憤りの対象とならざるをえないであろう。来るべき時代にわれわれがしなければならない実際的な仕事は、この不平等を維持することを可能にするような形の国際関係を編み出すことである。」(1948年、ジョージ・ケナン、当時米国務省政策企画局長)、「われわれは世界の人口の4%を占めているのに、世界の富の22%を必要としている」(1997年、ビル・クリントン大統領)。新ガイドラインはその為のものです。冷戦時代が終わっても横須賀や沖縄の基地はそのまま残っています。東北アジア平和の為という名目ですが、イラク戦争や今回のアフガニスタンの発進基地としても使われておりますし、今後のアジアを支配するためは欠かせない重要な基地であり、そのためには日本全土を勝手に使うことも出来るようにしたのが新ガイドラインと有事関連法です。
 今回のアフガニスタンに対する攻撃は富める国の世界支配に対して逆らう者への懲罰の標本として行われており、今後の世界支配の新しいルール作りでもあることが分かります。日本のテロ対策法を見ても世界支配のルール作りであると直ぐ分かります。
 この個所の著者は今日のことで言えば支配者側よりのマスコミです。武力に反対する市民の声を殆ど取り上げていません。憲法に対する情報も同じです。1999年オランダのハーグで第3回「世界平和会議」が開かれました。その会議には四万人ほどが参加されたようですが、そこで最終的に選ばれた10項目のアジェンダのその1番が「21世紀において世界の国々がめざすべきことは、戦争放棄の規定のある日本国憲法である。」ということであったそうです。しかし、このようなことを日本国内では知らない人が多く、日本政府もこのようなことと全く逆に動いているのが現実です。
 それから、最後に所謂知恵ある女、男でも構いませんが、彼女の行為のことです。19節に、「わたしはイスラエルの中で平和を望む忠実な者の一人です。あなたはイスラエルの母なる町を滅ぼそうとしておられます。何故、あなたは主の嗣業を呑み尽くそうとなさるのですか。」と書いておりますが、彼女は忠実な平和主義者として書かれています。自分の町だけは滅ばないで欲しいと言っています。しかし、彼女は自分たちイスラエルを支配者側から救おうとする人の命を相手方に売り渡してしまう惨めな事をしています。その彼女を支配者側は平和主義者、知恵ある者として記録を残しています。多分今回の戦争もそのようにアメリカが内部分裂を画策し、ビンラディンを処分することで終わるのでしょう。そしてそれを手伝う人々はこのように歴史に知恵あるもの、平和主義者としてその名を残すことになるでしょう。しかし、私たちは彼女が本当に正しかったのか、或いは平和主義者であり、知恵ある者であったのかには大きな疑問を感じます。支配側のルールに従うことによって得られる平和は真の平和ではありません。多くの人々は大きな力を持つ支配者の保護の下で安心感を得、それが平和だと考えます。最低の事です。又、今日においても「平和」、「愛」、「正義」、「暴力」、「テロ」という言葉を誰が先に使うのか、或いはプロパガンダを誰が支配するのかを争っています。
 革命家の試みは虚しく終わりました。愚かな民衆は自分の首を自分で苦しむことになります。
(2001年10月28日証詞より/ろば151号)
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