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    寄留の民を愛しなさい(レビ記19:33-34)
 現在、世界の多くの政治家や企業家、知識人たちはグローバルやボーダレスの時代を謳っている。そしてそれに相応しく世界的な情報網や交通網、外国為替市場が猛スピードで発達して行く中で彼らは机に座ったまま世界の動きを読み取り、多くのビジネスや投資や研究をしている。彼らは必要さえあれば渡り鳥のように世界の何処でも簡単に行くことができる。彼らが謳う如く国を分ける境とはもはや存在しない素晴らしい時代になっているのである。しかも、彼らは法を無視していない。常に訪ねたい国の法律を尊重し、定めた法に従って全てを丁寧に行っているのである。
 同じくグローバルやボーダレス的な動きが大勢の経済的弱者によっても世界各地で行われている。しかし、彼らの行動にはいわゆる不法滞在、不法就労、不法入国等のように、不法という形容詞が多く付けられている。単純なことであるが、弱者には国境を越える権利がない。許可をする場合でもその国家の必要性に応じて制限付きのことが殆どであろう。
 その他、政治的弱者によるボーダレス的な動きがあるのも忘れてはならない。それは難民のことである。さすがに難民には不法という形容詞を付けていない。日本では経済的移住民は大勢おられるが、この政治的移住民は殆どいないし、その内容も殆ど知られていない。今はJICA(国際協力機構)の理事長を務めている緒方貞子さんが二年前まで国連難民高等弁務官という難しい肩書きをもっていて、彼女が世界的な活動をしているのをマスコミの報道を通して度々見たことはあるが、その仕事の内容はあまり知らなかった。それが、今年の1月に百人町教会で証詞をして下さったある難民申請者のことが切っ掛けで関心を持つようになったのである。もう少し詳しく言うとその方が証詞の翌々日にお連合いの方と共に東京の入国管理局に捕まり、その「留置場」で過す事になったことが切っ掛けであった。調べて分かったが難民高等弁務官事務所とは彼のような難民申請者や難民を保護、支援する国連傘下の世界的な規模の団体なのである。因みに英語表記を紹介すると「UNHCR」(United Nations High Commissioner for Refugees)であり、その本部はスイスのジュネーブで、日本と韓国を担当している事務所は青山の国連大学の中にある。「難民」については一九五一年の国連総会で規定した「難民の地位に関する条約」の第1条に、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた人々」と定義している。つまり、上記いずれかの理由で国境を越えた人々のことを指す。弁務官事務所で発行している日本語の文書に報告されている通常の難民だけでも2001年現在、2千4百万人ぐらいという驚くほどの数であるが、内戦国家での国内避難民や飢餓などによる越境者は含めていない。
 難民はアフリカ地域で多く出ているが、アジアの地域においても西アジアの地域ではイラン、イラク、シリア、トルコの四つの国にまたがっているクルド民族から多くの難民が出ており、米英が侵攻しているイラクやアフガニスタンからも多くの難民が発生している。しかし、150万人を越えるパレスチナ人がヨルダンへ難民として移り住んでいるが、何故かUNHCRの庇護ではなく、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の庇護の下にいるのを見ると難民にも国際政治の影響が及んでいるのが見える。つまり、パレスチナ人は国際難民としては認めたくないという国際政治でのやり取りであろう。東アジアの地域では以前カンボジアやベトナムからの難民が出たことがあるが、この約10年の間、北朝鮮から中国へ飢餓や政治的な迫害を逃れて多くの人が出ており、今後もその数が増えて行くと思われるが、彼らも難民としては認められていない。
 政治的難民発生の原因とは大体の場合に宗教や民族紛争であるが、それは表面的な理由だけで、殆どの場合は旧植民地時代と冷戦時代の残滓と影響によるものであるのが事実であろう。例えば、民族紛争というのは古くからあったと思われるが、第2次世界大戦後の民族紛争というのは、植民地からの解放による自主独立国家を形成する段階で、まだ自由を守る準備が出来ていない問題があり、その上にその国境線というのが当事者の意志とは関係なく、旧支配者らによる線引きであったため、その中の異なる民族間の紛争が大きな原因になったと思われる。そして、その紛争の後ろには旧支配国や冷戦時代の東と西の国家の武器支援と権力争奪への煽り立てが重要な働きをして来たと思われる。
 その具体的な例になる一つの国をご紹介したい。アフリカのリベリア共和国である。UNHCRが出している資料『わたしたちの難民問題』を見ると、「アフリカの西海岸にある人口3百万人ほどの国です。1822年にアメリカから移り住んできた解放奴隷によって建国され、1847年に独立したアフリカ最初の黒人共和国です。」と紹介している。アフリカの最初の黒人共和国、国家名のリベリアは自由(Liberty)から取り入れ、その先祖たちはアフリカの誰より自由の大切さを味わった人々であった。しかし、本当はこの国もアメリカが勝手に作り上げた国の一つである。そして建国以来その名とは関係なく凄まじい抑圧の歴史が刻まれているわけである。リベリア共和国の成立をアメリカの黒人の歴史から見ることが出来る(本田創造著『アメリカ黒人の歴史』岩波新書、1991年)。1800年代の初期、アメリカの北部では南部から逃亡した、或いは何らかの理由で自由人になった黒人が増え続けている中、彼らは白人の南部農場主にとって既存の奴隷制を脅かす面倒な存在であった。そして北部の白人たちは黒人と一緒に暮らしたくないというのが本音であった。それで、その自由黒人をアメリカから追い出すために、保守派が提案しアフリカの象牙海岸に黒人だけの自由国家を作り上げることにしたのである。リベリアに移住された人々は元々イギリスやアメリカの奴隷商人によってアフリカから連れ出されてアメリカに奴隷として売られ、散々の苦労の後解放された人々で、彼らには自分たちの生まれた土地に自分たちのために自由の国を作るというのは最も大きな夢であっただろう。しかし、まもなくそれが保守派連中の策略であることを自由黒人たちが悟ることでその政策は失敗に終わる。外務省の資料を見るとこの国に90年代に入ってから15万人以上の死者、国外難民約80万人と国内避難民約150万人という悲惨な状況が報告されている。その理由はこの国に建国以前から住んでいた先住民族と建国の主体としてアメリカから移植された人々との対立といわれているが、これこそ旧支配国による勝手きわまる線引きや移植政策による残滓が100年以上も影響を与えている難民問題である。パレスチナ問題も同じようなものであろう。
 話を戻してUNHCRの資料を見ると、緒方氏が勤めていた頃日本政府が世界の難民のために支援していた額はアメリカに次ぐ、世界第2位の国であった。しかし、難民受け入れのそれまでの実績とは過去20年間300人位で、先進国の中では一番難民を受け入れてない国であることも書いてあった。例えば、カナダでは2002年の1年間13,989人の難民を受け入れたと報告されている。勿論日本は土地が狭く、異民族との共同生活に慣れていないことも作用していると思うが、このままの理解であれば金は出すから人は来させたくないということであろう。難民高等弁務官事務所では難民を発生させる原因をなくし、一日も早く難民が自国に戻ることを目標にしていると話しているが、難民申請をしてから十数年たち、家庭も造り、日本語も不便なく生活している人々をいきなり逮捕し「留置場」や「監獄」に入れるというのはどうみてもおかしい。難民とは一時的に帰るところを失っている人々である。
 旧約聖書のレビ記19の33,34には「寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である。」というのが書かれている。イエスの隣人愛よりもっと具体的な行動要領である。しかし、そう簡単なことではないためわざわざ律法の規定として書いていると思うが、その大いなる根拠は「あなたたちもエジプトの国において寄留者であったからである」ということであった。誰であっても家を離れたことは一度ぐらいあるだろう。日本には難民の他にも寄留の民が大勢居られる。彼ら、彼女らの権利は異国で危うくされている場合が多い。その時このレビ記の言葉は他の説明を必要としない。
(2004年2月15日証詞より/ろば159号)
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