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    神の言葉は荒野に(ルカのよる福音書3:1-6)
 私は未だ見ておりませんでしたが、この前まで渋谷の文化村で上映されていた韓国の映画「大統領の理髪師」がコメディタッチで、権力を揶揄した、とても面白い映画だった、と紹介して下さった方がおられます。見てなくてとても残念ですが、そのような作品をパロディー(parody)形式と言えると思います。パロディーという言葉がお馴染みではない方もおられると思いますが、文学作品の一形式で、古くから詩や小説などにおける、よく知られた文学作品の内容を変えて滑稽化、風刺化することです。例えばセルバンテスの『ドン・キホーテ』(1605年)のような作品です。そして、現在は文学作品以外にも、音楽・映画・広告、その他いろいろな表現部門で使われています。
 そのパロディーの歴史がいつの時代から始まったのかは知りませんが聖書のパロディーと言えば、イエスが一時借り物の子ロバに乗ってエルサレム入城された時の様子を思い浮べるのは不遜な考えになるのでしょうか。
 ルカによる福音書の箇所でもパロディー的な部分を見つけました。それは1節と2節のところです。「皇帝ティベリウスの治世の第15年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。」
 何の変哲もなさそうなこの部分がどうしてパロディーとして見えるのかということですが、よく見ますとルカはこの箇所で当時の錚々たる人物たちを列挙しています。ローマの皇帝、ユダヤ総督、ガリラヤの領主、パレスチナ地域の領主たち、そしてエルサレムの大祭司の名前を並べています。そしてこの終わりのところに名もなく、権力とは全く関係ない人物、ヨハネの名前が肩を並べているのです。
 これだけでも権力の相対化としてパロディーになると思いますが、更に驚くべきことが書かれています。神の言葉が誰に表れたのかという話です。神の言葉は当時の世界の支配者たちではなく、又当時の偉い宗教指導者でもない、ヨハネに降ったというのです。文学作品として考えましたら、これはまさにパロディーです。非常に面白い話で、当時抑圧されている人々の側から見ますと笑い転げるほど痛快な話だったと思います。
 それからもう一つ、神の言葉が降ったという場所ですが、それも王宮や神殿があり、立派な方たちが住まわれている都ではなく、荒野であったということもパロディーのように見えます。本当に面白い話です
 ルカはこの文章を決してユーモア感覚で書いているとは思いません。そして、彼が何かを悟っていてこのようなことを書いているとも思いません。ルカはたまたま洗礼者ヨハネを預言者として表す為に、預言書の導入部の書き方を真似したと思います。ルカがどれほどまじめな人であったのかは、4節以下の部分を読めば分かりますが、「これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」(4-6)、これはイザヤ書40:3-5の一部を引用しまして、要するに預言の成就を説明したかったということです。
 しかし、ルカがヨハネを紹介するために書いたこの部分をヨハネの紹介文として理解するのみではとてももったいない内容ではないかと思います。私自身はこの話こそ当時と現在を繋ぐ非常に重要なメッセージではないかと思うわけです。この証詞の題に「神の言葉は荒野に」と表しましたが、このことは非常に重要な象徴性を持つテーマで、福音書全体を流れている地下の水脈のような内容だと考えているのです。
 この題を問いかけの言葉に替えて見ますと、「神の声は何処で聞けるのか。」とも考えられると思います。そして、極めて一般的であり、時代を越えて考えられる答えは、言うまでもなく聖なる場所としての神殿や会堂、そして教会がその場として選ばれると思います。又、その受容者としても、聖職者といわれる祭司や律法学者、そして牧師が考えられると思います。しかし、非常に残念なことですが、福音書ではそのように答えている所は殆どありません。答えはその逆です。この証詞の題「神の言葉は荒野に」が答えです。これは現在的に考えても常識を非常識化する話で、逆説です。
 どうして神の言葉が神殿でも、都でもなく荒れ野にあるのでしょうか。
 先ず、考えられるのはホレブでモーセに現した神の声、神の啓示事件以降、荒野は神の啓示の重要な場となっているということです。勿論、サムエルは神殿の中で神の声を聞きました。このような例は幾つか見つけることができると思いますが、サムエルの場合でもその神殿にはエリという偉い祭司がいました。そのエリではなく、未だ幼く神の声も分別できなかったサムエルに神の声が聞こえてきました(サムエル記上3:1以下)。
 聖書では神の声の聞き手として人と場所を選んでいます。都や神殿でも良かったと思いますが、どうしてそこが避けられたのでしょうか。王や祭司長や律法学者が大勢いましたが、どうして彼らではなかったのでしょうか。
 その背景のひとつを祭儀制度や律法と関連して考えることが出来ると思います。イスラエルに祭儀制度が出来た時、同じく律法という制度が出来ました。お祭りは祭司によって伝えられて来た伝統の一部です。イスラエルではそれをレビという家系に任せてきました。そして、律法も最初の頃は口伝として人々の口と記憶を通して守られてきました。しかし、国家が成立し、文字が発明される頃、両方とも国家権力と関係深いものになって行きます。都に神殿が建てられお祭りという伝統が都の城壁の中に囲まれてしまいます。そして、律法は、識字能力を持っている一部の人と、一般人は持つことが出来ない書物の中に納められるのです。
 それによって出来上がったシステムというのは神の伝統や言葉の所有というシステムです。勿論、祭儀や律法には人間の実存における重要な意味が含まれており、大切なことには変りはありません。しかし、それらが一部の人によって所有されてしまった時、神の言葉や行為が律法や祭儀に代わり、それが段々一部の人のために存在するものになり、それを持たない人を抑圧する道具にもなって行きます。所有ということですが、例えばイエスの時代の人々の言葉はアラム語でしたが、聖書はヘブライ語、知識人はギリシア語を使っていました。
 それに反して荒野はその場所が意味するように誰もその所有者がいないところです。神の言葉が降ったというのは、聞けたという意味です。ヨハネは荒野で神の言葉を聞きました。それは、それまで都で聞いたものとは違う言葉であったと思います。所有者に首輪をはめられた言葉ではなく、自由で生き生きとした言葉であったと思います。イエスもやはり荒野で神の言葉を聞きました。そしてガリラヤでも聞きました。ガリラヤとはどういうところでしょうか。湖があって肥沃な土地がある場所です。しかし、その殆どの土地は都に住んでいる者らが所持していました。ガリラヤに住んでいても自分の土地を持っていない民衆にとってその場は荒野と変りありません。荒野は常に神の声を待ち望む彼らを神の声から妨げるものは何一つない場所、聖なる場所です。
 神の言葉は伝統的に預言者たちに委託されました。神の言葉はヨハネにもイエスにも、そして民衆にも伝えられました。その言葉は所有者がなく皆が分かち合いました。ですから、常に新しい意味を持ち、常に人々を生かす言葉でありました。6節の最後に「人は皆、神の救いを仰ぎ見る。」と書いてありますように、神の声が荒野に降った時に救いは皆のものになります。
 しかし、物事がここで終われば良かったのですが、残念ながらパウロ以降イエスの言葉にもキリスト教と言う所有者が現れました。新しい神の言葉はそれっきりなくなりました。16世紀の宗教改革までの長い間、教会や聖職者が所有していました。そして折角自由になったその言葉が今度は神学者たちの所有物になってドグマという首輪がはめられました。
 神の言葉が荒野にあるのは今でも変りはないと思います。今日宗教は社会に、人間に殆ど何も要求していません。制度と教義と言う自分たちの殻の中で自分たちが安全に生きることだけ望んでいるように見えます。
 今私たちはもう一度荒野で、巷で、民衆の中で神の言葉を聞かなければならない、分かち合わなければならないと思います。(2005年5月8日の証詞より/ろば164号)
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