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    荒れ野に花を咲かせること(イザヤ書35:1-10)
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ。(35章1節)
 12月になりますと百人町教会が蚕室中央教会と姉妹関係になってから29年目に入ります。1979年10月に起きた朴正熙大統領の暗殺事件と共に姉妹関係が始まったのには意味が深いと思います。その間両教会において牧師交代もありながら、姉妹関係は更に深められてきたと思います。そして、この度は姉妹教会の朴榮珠牧師が百人町教会を訪問して下さり、1ヶ月間滞在しながら教会の仲間との深い交わりと同時に百人町教会の内容や日本の文化について僅かだと思うが体験することができたのは、姉妹教会の歴史に新たな一ページが書き込まれたことと思い大変感謝しております。百人町教会の歴史が38年ですが、そのうち姉妹教会との関係が29年というのは4分の3を共に歩んできたことになります。それぞれの教会に刻み込まれたこの歴史はもう誰も消すことが出来ないでしょう。両教会のこのような関係が両教会だけで留まるのではなく、両国において真の教会形成へ、そして両国の関係にも、さらにアジアにおける平和へ繋がっていくことと思います。このような意味からも牧師相互訪問は決して個人的次元ではなく、共に学び、共に悩み、共に歩む意味深いことと思います。
 約7年前から始まった北支区とソウル老会との間の宣教協約が結ばれたことと、第4回日韓宣教協議会、そして青少年キャンプなどを通し幾つかの交流が現在進行中であり、それに何らかの形で百人町教会が手伝うことが出来たことも大変感謝すべき点であります。
 そして、私は個人として今年から日本キリスト教団の日韓協約委員会の委員になり、1967年から日本基督教団と協約関係を結んだ韓国の3教会(大韓イエス長老会、韓国基督教長老会、基督教大韓監理会)との関係に携わるようになったことは、やはり両国関係の新たな働き場が自分に与えられたと思い感謝しております。任期中両国の教会間の関係において出来るかぎりの事をやっていこうと思っています。今年度初めて日本基督教団の中に設置されたこの委員会についてその目的や背景に付いては全く知らない。委員の人も分かっていません。しかし、日韓宣教協約が調印された1967年は日本基督教団戦争責任告白が出された年と同じ年ですので、今年が40年目になります。この記念すべき節目に設置されたこの委員会を通して日韓関係が益々深まっていくことを願っております。
 そして、百人町教会の創立40年という節目を3年後に迎えようとするこの時は、荒れ野40年の点検の時だとも思います。このような時に百人町教会の創立メンバーでおられる笹渕昭平牧師を迎え、お話を聞き、久しく交わりができたことは本当に良かったと思います。そして丁度このような時期に礼拝場所を移す話が出てきたというのは不思議なことではないと思います。「惰性」という言葉がありますが、人は少し年を取ると、保守的になりやすく、それまでの環境の中で安住しようとする気持ちになりやすいと思います。百人町教会がそうだとは全く思いませんが、40年という期間は知らずにそうなりやすくもないとは限りません。そういった意味で笹渕牧師のお話はあらたな覚醒を呼び起こす内容として受けとめたいと思います。
 私が9月16日の証詞の時に聖句として選びました申命記26章5節以下の部分ですが、その最初の部分がとても胸に響く内容です。「あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。」このわずかな人を伴って、エジプトに下り、そこに寄留しましたという言葉は、37年前に美竹教会からわずかな人々が出てこの一時的な場所を選び、集会をするようになった、その時の皆さんの思いを自分が理解するのは到底無理なことです。
 しかし、今、私たちはその時のように新たな礼拝場所を考えなければならない状況です。にもかかわらずこれは逆戻りの話ではないと思います。出エジプトの民が乳と蜜が流れるカナンへ入るのはただの安住の場所に入ることではないということです。私たちにとってこの40年間とは既成教会の権威主義や自己中心主義の漂泊の時期でありました。それがイスラエルの民の荒れ野40年の意味です。従いましてカナンへ入ったことは安住ではなく、あらたな神の共同体を開拓して行く歴史的働きの時でもありました。イスラエルの民がカナンから追い出されたのは、その義務をなおざりにしたためです。いい加減な集団だったためです。安住のために王様を求めたりしました。神も取り替えました。バアル神というのは安住の神です。ですから、もし私たちが安住したいと思いますと、その瞬間からヤハウェ神を信仰しているとしてもその神とはバアル神が化けたヤハウェ神であることと思います。
 今日、選びました聖書はイザヤの預言です。バビロン捕囚のことが書かれているこの聖書を見ますと、1節に「荒れ野」、「荒れ地」、「砂漠」という単語が並べられています。これらはすべて不毛の枯れた土地を指しています。しかし、これらは元々不毛の枯れた土地ではありませんでした。この次に登場する三つの地名があります。「レバノン」、「カルメル」、「シャロン」ですが、これらの地域はパレスチナ北部の肥沃な土地を指しています。この土地と関連したイザヤの預言が33章の9節にあります。「大地は嘆き、衰え/レバノンは辱められて、枯れ/シャロンは荒れ地となり/バシャンとカルメルは裸になる。」要するに荒れ地とは肥沃な土地が何らかの理由で荒れてしまったということです。砂漠化の現象など環境問題が気になるこの頃にふさわしい聖句でもありそうです。
 今日の聖書はその荒れ野、荒れ地、砂漠が再び回復されるという内容です。
 1節と2節、そして6節Bの部分と7節は荒れ野に花を咲かせること、3節から6節Aは回復された健康のこと、最後の8節から10節は散らされていた者の帰還のことです。従いましてこれらの内容は回復への希望の預言です。特に10節を見ますとお分かりになりますように、主に贖われた人々という表現のように回復を意味します。「主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。」
 今日の聖書をまとめますと次のような内容になると思います。

荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる。熱した砂地は湖となり、乾いた地は水の沸くところとなる。山犬がうずくまるところは葦やパピルスの茂るところとなる。見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。
 今回の集会で笹渕牧師が話されましたが、百人町教会が初期頃から木田先生によって提案され掲げて来た内容として「贖いの運動」というのがありまして、それは失われた者の、奪われたものの取り戻し、回復であるとのことでした。神と人、教会と社会、国と国との関係、それらの位置に百人町教会は関係の回復を目指し贖いを運動としてやっていこうと思ったのです。それには方向転換として悔い改めも必要です。そしてなによりそれに伴う行動が要ります。聖書でそれを象徴するのが贖罪と出エジプトだと思います。贖いのことが運動へ進むべき理由はここにあります。そして、荒れ野、荒れ地、砂漠を水が溢れる肥沃な土地に戻すのは大変なことと思います。開墾しなければなりません。今のイスラエルのキブツ運動とは正に土地の回復運動であります。飢えと疾病と労働の苦が待っています。それを今日の聖書では「弱った手」、「よろめく膝」、「心おののく人々」のように表現しています。3,4節です。回復=贖い運動へ向かう人々の心持ではないでしょうか。それらの人々に4節で神はイザヤを通して励ます言葉を用意します。
「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」
 これまでの百人町教会が歩んできた道を定義してみますと荒れ野に花を咲かせる者の道、即ち贖い運動への道だったのではないかと思います。美竹教会からの脱出による教会形成の新たな志、日韓関係における贖罪の意識と同時に姉妹教会関係、さらに日本の3大宗教裁判に関わってきたこと、日本に滞在するアジアの人々との交わりなどがあり、そして百人町教会の一人一人が関わって来た、ここには書き切れないほど多くの行動はその一つ一つが荒れ野に花を咲かせる試みであったと思います。私たちはこの道をさらに進めるべきではないのでしょうか。
(2007年11月18日の証詞から/ろば174号)
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