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    荒れ野の集会(使徒言行録2:11-13)
 今日はペンテコステの日です。キリスト教ではこの日を教会の3大記念日として、クリスマス、イースターと共に、教会の誕生の日として記念しています。
 本文の1節にある「五旬祭の日」とは、ギリシア語で「ペンテコステ」ですが、別の言い方もあり、この日に起きた現象に因んで「聖霊降臨日」ともいいます。
 今日はこの日の意味について、聖書を通してもう一度考えてみたいと思います。
 この日エルサレムに集まった人々は、ガリラヤから来ているイエスの関係者を除きますと、そのほとんどはエルサレム以外の地から来ている人だと考えられます。9,10節にいろいろな地域の名前が出ていますが、要するにユダヤ人ディアスポラ(離散の民)やユダヤ教に改宗した外国人などが集まっていました。これらの人々がどうしてこの日エルサレムに集まっていたのか疑問になりますが、これに答えるためには、「ペンテコステ」の日がどのような日であったのかを考えなければなりません。
 まず、「ペンテコステ」の意味についてです。本来の意味ですが、この言葉はギリシア語で50を意味します。要するにある時点から数えて50日目のことを表しています。そのある時点というのをキリスト教ではイエスの復活日として考えていますが、しかし、この日に人々がエルサレムに集まったのはユダヤ教の暦に従ってのことでした。
 この「ペンテコステ」とは元来ユダヤ教の3大祭りの1つでありました。他の2つの祭りとは、エジプトから脱出した日を記念する「過越祭」(要するにイスラエルの民の解放記念日)と40年間の荒れ野放浪を記念する「仮庵祭」(秋の収穫感謝祭を兼ねるが、本来は荒れ野の放浪を記念して仮の庵で過ごすこと)です。イエスが十字架につけられたのはこの過越祭の前日で、復活したのは過越祭の翌日です。この過越祭を祝うため多くの人々がエルサレムに集まりました。イエスもこの日を目当てにエルサレムへ行かれたと思います。「ペンテコステ」とはこの過越祭の翌日からちょうど7週間目にあたる日で、イスラエルの民の先祖がシナイ山で神と契約を結び、十戒が与えられたことを覚え、再確認する日でありました(出エジプト記19章以下)。従って、この日エルサレムに集う人とはユダヤ教の中でももっとも敬虔な人だったと思います。
 レビ記23章21節にはこの日について次のように定めています。
あなたたちはこの日に集会を開きなさい。これはあなたたちの聖なる集会である。いかなる仕事もしてはならない。これはあなたたちがどこに住もうとも、代々にわたって守るべき不変の定めである。
 なるほどペンテコステの日とは丁度先週の5月3日が日本の憲法記念日でありましたが、同じような日だと思います。日本国憲法によって日本人が一民族としての共同体であることを確認しあいましたように。イスラエルの民としてこの日は、共同体としての出発の日であったのです。それ故ユダヤ人は毎年この日になりますと聖なる集会を開きます。神との契約を再度思い出し、確認し合う大切な日だったのです。
 ここでシナイ山での律法の授与の意味を別の角度から考えてみることも良いと思います。荒れ野のシナイ山のふもとに集まった人々は、エジプトの束縛から逃れた人々でした。彼らはまだ一民族としてのイスラエルの民という形ではなく、一部の聖書学者が言うようにヘブル人の別の言い方で「ハピル」という存在、いわゆる支配体制から疎外されていた集団であったと思います。律法の授与ということで、それまでばらばらであった人々が初めて一つの共同体になることを確認しあった日であったと思います。これがシナイでの契約の事件であり、ペンテコステの内容でありました。
 ここでペンテコステにおいて聖霊が降ったというこの事件と、シナイ山での契約の事件とは互いに全く関係もない出来事ではありますが、類似的な性格を持つ事件であることを発見することが出来ると思います。
 それは、まず、言葉の事件としてです。当時のユダヤ人が主に使っていた言語はアラム語であり、政治的な支配者側の言語はギリシア語、そして、旧約聖書はヘブライ語で書かれていますので当然宗教的指導者はヘブライ語を読めたのではないかと思います。勿論、外国からエルサレムに来ていた人々は当然それぞれの地域の言葉を使っていたと思います。そのような状況の中で、集まっていた人々の間に言葉が通じあうことが起きたというのは驚くべきことであったと思います。しかし、このことが同じ言葉の事件として、異言を語るとか、これまで全く知らなかった言葉をしゃべるようになったという解釈をしてしまうのはおかしいことと思います。ペンテコステ派教会では異言を語るのが何か救いの確信でも得たように考えているようですが、言語の本来の目的は表現の手段で、人との間の意思疎通の道具であります。異言というのは誰もわからない、喋っている自分も分かっていない言葉で、それが天界で使っている言葉のように考えるのは、ペンテコステの本来の意味から逆の方向へ向かってしまう考え方だと思います。
 といいますと、ペンテコステとは、言葉が通じあわないため、それまでなんの関係も持たなかった人々が何らかの形で通じあい、初めて共同体として確認しあった出来事であったと思います。従って、このような意味においてこの日エルサレムに集まった人々は、契約の授与のためにシナイ山のふもとに集まっていたハピルの人々と非常に似ていると考えられます。
 次は、どのような人々がこの事件の主人公であったのかを確認したいと思います。
 7節には次のような言葉が書いてあります。
 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。」
 この表現から見ますと、そこに集まっていた人々をすべてひっくるめて「ガリラヤの人」と言っています。この表現が意味するのはそこに集まっていた人々がイエス集団の残党だという意味でもあり、言葉そのままの意味として、ガリラヤの人という体制側から疎外されてきた人々を指しているとも考えられます。
 このような人々を現代的な用語に変えますと「マージナル・マン」(Marginal Man)、即ち、周縁人、周辺人、境界人と訳すことが出来ると思います。
 広辞苑を見ますと、「マージナル・マン」とは次のように書いてあります。
 民族・地域・階層・文化などについて、異なる複数の集団の境界にあって、いずれの集団にも十分帰属していない人々。
 シナイ山の麓の人々やペンテコステの日にエルサレムに集まっていた人々はむろんのこと、現代におけるブラックディアスポラ、在日ディアスポラ、クルド難民、移住労働者もこのマージナル的存在であるような気がします。そして、場合によっては神の国とこの世という2つの境界にまたがって生きようとしているキリスト者もマージナル的存在ではないかと思います。このように考えますと、ここで初めて「ガリラヤの人」とシナイ山のふもとでの「ハピル」と「ディアスポラ」という3つの集団が繋がり、ここでもう1つの類似性が発見されます。
 さらに、これを今日における教会と重ねて考えたいと思いますが、教会を荒れ野の集会として考えてみる事にします。これはもしも教会をエルサレムの神殿の代りだと思っているのであれば、まるっきり違う考え方になるでしょう。ここで「教会」というのは「境界」であるいう語呂合わせが出来ますが、要するに教会はマージナル、周縁、周辺的な場所であるという風に考えられます。このことは今日の題の「荒れ野の集会」と非常に関係が深いものと思います。題のことですが、これは使徒言行録7章38節、「この人(モーセ)が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。」というステファノの説教の中から引用しました。この荒れ野の集会でイスラエルの民は、ヤハウェ神、忘れていた彼らの歴史と通じあうことができました。
 ここで荒れ野とはエジプトとカナンの境界、まさにハピル、ディアスポラ、ガリラヤの人が集まる場所だと思います。この前の証詞でも境界性についてお話しましたが、この荒れ野というのは境界的な場所であることです。イエスの公的活動は主に荒れ野的な場所、荒れ野的存在との間で行われました。教会の原点はここにあり、百人町教会はその40年近い歩みを、このような道に近いところを歩んできたと思います。こういったわけで、ペンテコステの意味を再度確認し合うことによって、イスラエルやキリスト教がどのような出発をしているのか、その原点に立ち戻ることは大変重要なことだと思います。2008年5月11日ペンテコステの証詞より/ろば176号)
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