戻る
     地を継ぐ者(詩編37:1-22)
 今日、私たちは時代の大きな変わり目に立っていると考えられます。グローバリゼーションという言葉が横行し、この言葉を裏付けるように世界の情報や資本が凄いスピードで動いています。確かにこれまでとは違う新しい時代を迎えています。しかし、その現実とは言われているほど甘いものでもなく、それほど単純なことでもありません。これらのことが原因でテロや戦争、貧富の格差や経済危機など多方面から弊害が続出しています。時代に順応できず、淘汰され苦しむ人も多くいます。
 このような時代に私自身、この1月18日から始まる1週間を幸せな思いで過ごすことができました。本当に生きていて良かったという感じでした。まるで人類が救われる夢でも見ているような感じでした。欧米の全ての歴史のうち、初めての出来事で、あれほど差別を受けて来た人種のなかから、その壁を乗り越え、世界のリーダーの一人として黒人であるバラク・オバマ氏が選ばれ、第44代目のアメリカ大統領に就任したことは、人類の歴史を塗り替えた大変重要な事柄であり、この歴史的な出来事に自分が立ち会えたことは本当に感慨無量の思いです。この間からの関連報道を見ながら、何度目頭が熱くなったかわかりません。ブッシュ氏がアメリカ大統領の席についていた8年間の悪夢を思いますと、その間の願いや夢の一部がこれで叶えられた思いです。
 今後オバマ氏の政治能力は多方面から試されるでしょう。彼がどのような政治家であるかの結論を今から出す必要はないと思います。それより今回、自分として大いに感動したのは彼を選んだ人々のことでした。いくらオバマ氏が人間的に優れ、政治的にも大きな能力を持つ者であるとしても、アメリカ国民に選ばれなかったら何にもなりません。彼を選んだ一人一人がどんな思いを持っていたかは分かりませんが、少なくとも彼が黒人であるため選んだとは思いません。現実をしっかり見て自分たちにより大きな利益を持ってくる政治家として将来のアメリカを任せられることを認めてのことでしょう。それでも有権者にとってオバマ氏が黒人であることは大きな気がかりであったと思います。しかし、その気がかり以上のものを彼から見出し、彼を選んだこと、そのことが一番感動するところです。人々が差別という目に見える高い壁を乗り越え、認め合い、信頼しあうこの出来事に人類共存の夢があると思いました。
 昨日までのオバマ氏の支持率がアメリカでは80%を超えたのは勿論、日本でも世論調査で90%近いという発表がありました。日本の麻生太郎氏や韓国の李明博氏の20%に満たない支持率と比べると驚くべき数字です。どうしてこのようなことが起きているのでしょうか。多分、オバマ氏に対する世界の人々の期待感が大いに働いたのだと思います。
 23日はアメリカのABCニュースの映像を見ました。世界中の子どもたちをインタビューした映像で子どもたちの笑顔は素晴らしかったです。子どもたちが世界の政治を分かっているとは思いませんが、微笑みながら「Yes We Can」とオバマ氏の口真似をしていました。「Yes I Can」ではなく「Yes We Can」であったことに大きな意味を感じます。世の中「Yes I Can」と、言う人ばかりが多く、疲れることが多くありますが、「Yes We Can」という言葉は何となく落ち着く言葉です。この一言が支持者への希望のメッセージであり、支持者を得るのに大きな働きをしたと思います。
 ブッシュ政権の8年は全世界が恐怖と憎しみで満ちた時代でした。急に変わりはしないと思いますが、人類共存への夢が徐々に現実化していくことを願っております。民族や人種間の和解をはじめ、現在の経済の困難も乗越えなければならない。そしてオバマ氏の父親がイスラム教徒であったことをも思いますと宗教間の和解にも大きな進展があってほしいのです。無論、この人類の歴史を変えていく責任は私たち一人一人にもあることを前提にしての話です。
 それでは本日の聖書とこの歴史的な出来事の間にはどんな関係があるのでしょうか。聖書はこのような歴史的な出来事をどのように見ているのかを本日のテーマにしたいと詩編の中から選びました。先ず、この詩編の内容を理解するために、本文の中から重要と思われる言葉を掘り出してみました。その一つは、本日の題にもしましたが、「地を継ぐ」、「地を継ぐ者」という言葉です。それからこの言葉の対概念として、本文に何度も出ている「悪事を謀る者」という言葉です。この二つの言葉を同時に記している個所が9節です。
 悪事を謀る者は断たれ
 主に望みをおく人は、地を継ぐ。

 これまでのアメリカの政治を踏まえながら考えますと、今度の政権交代に期待するのはこの聖句が対比しているようなことです。前者はブッシュ政権で、後者はオバマ政権、悪事を謀った者ブッシュ政権は断たれ、新しい時代の地を継ぐ者としてオバマ政権が出来たと。願っているだけの話ですが、しかし、このことは今の時代を生きている自分を除いた話で終わるものではありません。グローバル化の中で大きな問題になっているのは無差別な投資のことです。一攫千金を狙い、多くの人々は自分が持っている資金の何倍にも当たる数字だけの架空のお金で、世界的なネットを使って見えない相手に投資している。若しかすると自分の預貯金がそれに使われ、利子を得ているようになっているかも知れない。当然のことですが、その利益がどのようにして生まれるのかも知らない。ただ自分の方へ大きな利益がまわってくれば良いと思うのです。しかし自分の少額の投資金が投資企業によって国境を超えていくとき、多くの労働者や生産者、健全な企業の利益を横取り、結果彼らは消耗品のように使い捨てられるのです。
 まるで今の時代を表しているような内容が本文14節から16節に記されています。
14主に逆らう者は剣を抜き、弓を引き絞り、貧しい人、乏しい人を倒そうとし、まっすぐに歩む人を屠ろうとするが、15その剣はかえって自分の胸を貫き、弓は折れるであろう。16主に従う人が持っている物は僅かでも主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。
 現在の世界経済状況は15節のように、剣がかえって自分の胸を貫いているようではありませんか。このような中でも16節は私たちにとって慰められる言葉になると思います。
 余談ですが今回大統領就任式にあたり、オバマ氏本人が選んだ聖句があったようで、それは歴代誌下の7章14節だそうです。
 もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。
 いいところを選んだと思います。「悪の道を捨てて立ち帰る」というくだりを見ますと、感動です。彼を選んだアメリカが今後このような道を選ぶならいいなと思います。これに合わせて本文を選んだわけではありませんが、この「悪の道を歩く人」とは本文の「悪事を謀る人」と同様な意味で読み取れます。それから最後に出てくる三つの言葉の勝手な解釈ですが、「天から耳を傾ける」とは世界の人々のことを聞き入れることであり、「罪を赦す」とは和解のことを、特に、その次の「大地をいやす」とは本文との関わりで「地を継ぐ」意味が含まれているように考えられる部分です。

 本文に戻ります。「地を継ぐ」とは一体何を意味し、「地を継ぐ者」とはどんな人をいうのでしょうか。この言葉は37章だけでも本文以外のところを含めると、3節、9節、11節、18節、22節、29節、34節、7回も出ています。そして、この他にも地を継ぐ者として思わせる言葉が幾つかあります。例えば、3節の「主に信頼し、善を行える者」、9節の「主に望みをおく人」、11節の「貧しい人」、18節の「無垢な人」というところです。これらの言葉と内容は地を継ぐ者と関連性が高いと思います。
 地を継ぐことについて考えてみる価値は大いにあると思います。しかし、この言葉と内容について説明している資料は手元にはなく、注解書にも説明がなく、聖書の関連がありそうな個所を殆ど探してみましたが見つかりませんでした。手がかりと想像力に頼るしかありませんが、いろいろと探しているうちに、聖書の中で「地を継ぐ」という時の「地」という言葉に関連する面白い現象を発見しました。それは言葉における変化です。無論内容も含めてのことと思います。これは神学的なアプローチではなく、個人的に検索のうちに捉えた思いです。
 その言葉の変化について結論から申しますと、聖書の中で「嗣業」→「地」→「神の国」というプロセスで変化しているという話です。先ず、「嗣業」という言葉です。本文の18節にありますが、詩篇の中ではここしか記されていません。この言葉は私たちには聞き慣れていますが、何故か広辞苑第六版には言葉すら載っていません。この言葉の大体の意味は皆さんご存じだと思います。ここでは説明しませんが念のために申しますと、このような言葉が出た時には聖書の後ろの「用語解説」をめくって見ると大体の場合は説明が記されています。この「嗣業」という言葉は主に創世記から申命記までのモーセ五書で使われています。
 そして、「地」という言葉はモーセ五書を除く旧約聖書の他の殆どのところで使われているということです。「嗣業」と「地を継ぐ」言葉の間の違いはほとんどないと思います。何故かと申しますと「嗣業」の「嗣」は「継ぐこと、譲ること」を意味しているためです。無論、嗣業には土地だけではなくもう少し広い意味があったと思いますが、「嗣業」が「地を継ぐ」へと変化する背景には、自分たちの土地を失ったバビロン捕囚と深い関連性があるのではないかと思います。これが新約聖書、特に福音書では「神の国」へと変っていきます。ここまでのところから考えられるのは「地」とは単に土地という意味だけでは説明しきれない言葉であるということでしょう。

 少し想像力を働かせイスラエルの民が出エジプトの後、カナンの地で「嗣業」の土地を取得した時のことを考えてみましょう。その出来事はそれまで土地を持っていなかった人が一所懸命に働いて集めた金で土地を購入し、所有するような話ではありません。また、今のボンボン政治家たちが親から譲ってもらうような世襲をも意味しません。そこには「自由」、「正義」、「愛」という重要な意味が含まれています。そして、先ほどの歴代誌の「大地をいやす」という言葉が意味する「回復」をも含んでいます。奴隷として抑圧されてきた人々、全てを奪われた人々が共に生きられるように与えられたことを意味しています。きっとこのことが「地を継ぐ」、「神の国の所有」へと連なることと思います。
 キング牧師がワシントンのリンカーン記念堂で述べた「I have a dream」「私には夢がある」という演説文のなかで語っている「かつての奴隷の子孫とかつての奴隷主の子孫が、兄弟愛のテーブルに仲良く座ることができるようになるという夢が。私には夢がある。今、不正義と抑圧の炎熱に焼かれているミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変わるだろうという夢が。」(『私には夢がある』新教出版社)とは地を継ぐ者の生き方だと思います。それは決して願望でもなく、欲望でもなく、まさか白人に哀願することばでもありません。奴隷だった人々、捕囚の群れ、抑圧されてきた人々がその持つべき権利を取り戻し、回復すること、人類の本来の生き方だと思います。
 最後に本文11節について考えてみます。
 貧しい人は地を継ぎ
 豊かな平和に自らをゆだねるであろう。
 地を継ぐ者との関連で重要な概念はやはり「貧しい人」です。貧しい人という言葉は聖書全体を通して百回ほど出ていますが、旧約では詩篇が一番多く、69回のうち30回でています。新約では31回のうち21回が福音書です。この「地を継ぐ者」と「貧しい人」との関連のことがマタイによる福音書の5章の3節と5節にも記されています。
 3心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
 5柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
 3節では(心の)貧しい人々が天の国(神の国)を所有することとセットになっています。(聖書の他の個所では殆どが「貧しい人」だけが使われています。)そして、5節では柔和な人々が地を継ぐこととセットになっています。地を継ぐ者として貧しい人々と柔和な人々との関連は非常に深いと思いますがここでは説明を省略します。重要なのは貧しさとは経済に限るのではなく、人種、宗教、政治、性などのありとあらゆる場で被抑圧的な状況に置かれていることと関連します。しかし、その貧しさは貧しさに留まるのではなく、地を継ぐ者へ代わるというのが聖書における最も重要な教えです。
 オバマ氏の大統領としての就任がこのような地を継ぐ者としてであることを願い、期待し、また、世界中にいるありとあらゆる貧しい人々がどんどん地を継ぐ者となっていくことを夢見るところです。どんな形であれ一度はひもじい思いを経験した人は地を継ぐ者としてそれを大切にしてほしいです。「豊かな平和に自らをゆだねるであろう。」
(2009年1月25日証詞より/ろば179号)
戻る