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    白虹日を貫けり(ヨハネによる福音書12:44-50)
 今日お話ししたいのは日本で今から100年前に起きた事件のことです。この事件とは今月に入り二度も牧師日誌に書きました「大逆事件」のことです。その上で、この大逆事件と非常に似ている朝鮮半島で起きた二つの事件を紹介したいと思います。
 私が大逆事件について初めて聞いたのは、1994年か95年の木田ゼミで木田献一先生からです。事件の内容については殆ど覚えておりませんが、この事件にキリスト者が関連していたということは覚えています。そして、数年前に転居してきた今の家がたまたま市ヶ谷監獄の跡地の上に建っていることと、大逆事件の犠牲者がこの監獄で処刑されたことが分かるようになりまして、段々大逆事件について関心を持つようになりました。そして、刑死者の慰霊塔があることや100年前の1月の24日が事件関連者の処刑日であったことも分かりました。昨年出された『大逆事件』(田中伸尚、岩波書店)という本を読み、大変勉強になりました。
 先ず、事件の概略について簡単に説明をしますと、甲府出身の25歳の宮下太吉という人が信州の明科の製材会社に勤めていたが、天皇を暗殺しようと私製爆裂弾を製造したことが切っ掛けで、26人が連座検挙されることになります。それが1910年の5月のことで宮下に爆裂弾の材料を調達した人がそれを警察に通報したことから事件は始まります。しかし、この事件はきわめて初期段階から何の証拠もないまま大きく膨らみ、当時の刑法第七三条、不敬罪(天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ處ス)違反事件に変えられます。この不敬罪に関連する事件は裁判では一審で終審になるようです。幸徳秋水を始めとする関連者の殆どは事件とは何の関連もないのに社会主義者、或いはアナキストという理由で連累されます。事件は1910年5月に宮下を検挙することから始まり、非公開裁判で、一人の証人も採用せず、1ケ月ほどの審理で、1911年1月18日に24名に死刑が宣告され、判決から1週間後の1月24日にそのうち12人が処刑されるのです。『大逆事件』では事件前後の歴史的背景について殆ど説明がないのが残念ですが、1910年(明治43)とは日露戦争が終わり、その年の8月29日には朝鮮が併合され、ある程度安定した時代であったと思われます。このような時期に国家権力がどうして大逆事件をでっち上げなければならなかったのかを説明して欲しかったです。
 先ほど、この事件にキリスト者が関連しているといいましたが、それは和歌山・新宮町の大石誠之助というお医者さんで、社会主義者だった人物です。彼は開業医で善意に満ちた仕事をしていて地域の人から大変敬われていた人だったようです。彼に関しては、出身地の議会が復権と顕彰をし、さらに名誉市民にしようとする動きがあるようです(この3月2日の市議会定例会で否決された)。そして、残念ながらこの事件はまだ終わっていません。1964年、一度裁判による復権の試みがありましたが、再審請求が棄却されます。
 この事件と直接関連はありませんが、朝鮮半島で起きた非常に似ている二つの事件を皆さんに紹介したいと思います。大逆事件が天皇制の強化と深い関連があるように、この二つの事件も国家権力による支配システムの強化と深い関連がある事件です。一つは、大逆事件の2年後の1912年に植民地朝鮮で起きた「105人事件」と言われる国家権力によってでっちあげられた事件です。事件の概略は1910年2月に当時韓国統監で、後に初代朝鮮総督となる寺内正毅を暗殺しようとしたという理由で、1911年10月にキリスト者だけ157名を逮捕し、うち牧師1人を含む4人が拷問によって殺された事件です。最終的には1912年6月の1審で105人が有罪判決を受けたことで、「105人事件」と言われるようになりますが、2審ではそのうち99人が無罪放免されます。残りの6名も間もなく、大正天皇の即位式に際して特赦されます。この事件は当時最も厄介な存在になりつつあった、朝鮮におけるキリスト教を初期段階で押さえようとした弾圧事件であったのです。但し、多くの人々が天皇制を支持していた日本国内とは違って、宣教師たちが世界的なネットワークを持って活動し、同時に日本による植民地支配を支持する人はほんのわずかであったこと、結果この事件後の朝鮮の基督教は植民地体制に極めて厄介な存在となります。
 もう一つの事件は1974年7月に韓国の軍事政権がでっち上げた、「全国民主青年学生総連盟事件」、短くして「民青学連事件」です。この事件では国家を転覆し、共産主義政権を樹立しようとしたという理由で253名が起訴され、そのうち23名が有罪判決を受け、1975年4月8日に8名に死刑宣告が渡されるが、18時間後の翌日午前全員処刑されます。あくまでもこの事件は当時の永久執権体制に反対しようとする人々に、共産主義者だという濡れ衣を着せ弾圧しようとする目的でねつ造された事件です。この中には多くのキリスト者が含まれていました。その2年前の1972年12月に軍事政権は日本の明治維新をイメージした、「十月維新」という永久執権のための憲法を発表します。当時維新という言葉の意味や出処を大人たちがよく分からず、考え込んでいる姿を横で見た覚えがあります。翌年の1973年は金大中拉致事件が起きます。
 「十月維新」の数年前の1968年に独裁政権は「国民教育憲章」という長い文章を発布し、私たちに覚えさせ始めました。それは、戦前の日本の「教育勅語」に該当するものです。これらのことをみてみますと、それぞれの事件は全く別のものといえますが事件の内容から見ると客観的に似ているところが多く、日本のあの大逆事件を真似したようなところが多くあります。
 どの国家においても権力に対しては常に批判が伴い、場合によっては暗殺事件も起こり得ます。しかし、これらの事件は国家権力による犯罪であったのが共通点だと思います。大逆事件として見るのか不敬罪として見るのかには大きな認識の隔たりがあります。
 ここで題の話を少しします。広辞苑をみますと、「白虹日を貫く」という言葉が出ています。これは中国の史記にある、「白い虹が太陽を貫く」という言葉からの引用語で、中国では昔、国に兵乱のある凶兆とされ、白虹は兵を、太陽(日)は君主を意味するということです。1918年、大阪朝日新聞の筆禍事件で、「白虹事件」というのがあります。寺内正毅内閣批判の関連記事に、君主に対する反乱を示唆する隠喩的表現として、今日の題に引用した言葉が使われます。それによって記者らが起訴され、社長などが辞任するなどの結果となった事件です。この筆禍事件は大石誠之助とも関連する内容を持っていますが省略します。ただ一つ、上に紹介した権力による全ての弾圧事件、或いは現在北アフリカで起きている事件などはこれに勝る事件で、権力側からみますと全てが権力への謀反、いわゆる大逆罪に当たります。
 最後に聖書の話をしたいと思います。今回選んだ個所は信仰の内容について大変重要なことを教えているのではないかと思います。ユダヤ教とキリスト教はその草創期から偶像崇拝について大変敏感に拒否してきました。にもかかわらず、常に惑わされるのが偶像に対する信仰への傾度でした。信仰の対象を自分の恣意的な目的のために悪用しようとすることがしばしば起きます。神の遣いを神そのものと混同することが起きます。しかし、今日選びましたテキストにはイエスがはっきりとそれを区別しているのが見えます。イエス自身はあくまでも神の遣いであることを説明しています。否、説明ではなく、何故かテキストの最初に「イエスは叫んだ」と書かれています。この言葉は福音書ではその殆どが十字架に付けられる時に使われます。その意味で著者が「イエスが叫んだ」と書いた背後には注意を呼び起こす、大変重要な意味合いがあるのではないかと思います。当時の人々がイエスを神として信じようとすることを防ごうとする姿です。
 一番注目したい本文は44節です。
イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。」
 世の権力が腐敗し、偶像化されますと、混同が起きます。神の遣い自らが神になろうとします。しかし、イエスはこのことを絶対に許しません。偶像化とは全体主義への傾向を意味します。イエスはこのことを人々が誤解しないように注意を呼び掛けているのです。そして、47節にその神の遣いの本来の職務は裁きではなく救いであることを明示します。
わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。(2011年1月30日証詞より)
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