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    不法の秘密の力が既に働いている(テサロニケU2:1-12)
 今日は証詞の題をご覧になり、証詞者が何を語ろうとしているのか何となくお分かりだと思います。しかし、聖書にこんな言葉まで書かれているのかと驚く方もおられると思いますが、聖書の現実の方が現在より厳しいものであったと思います。つまり、迫害といいますと軽い処罰ではなく殺戮ほどのものであったためです。日本でいえば四百年ほど前のキリシタン迫害に比べられることと思います。

 さて、先日26日、特定秘密保護法案が衆議院本会議で可決されてしまいました。このままでしたら当然参議院でも可決されるでしょう。詳しい内容やプロセスについては新聞などのマスコミでご覧になると思いますので省略します。

 しかし、国民の8割方が反対しているといわれている、勉強して6割だとしても、尊重するべき世論であるのにそれを全く無視するというのは、安倍政権、或は自民党政権の国民を代表する正当性はもうないと断言しても間違いないでしょう。ただ、恐ろしいことは今回の法案可決は序の口に過ぎないということです。今回のことで腹を立てておられる方は、これから幾度もこれよりさらに強く腹を立たせる場面に出会われると思いますのでどうぞ健康に支障がないように腹を立ててください。どんなことが起きても皆さんは元気に生きておられないと困ります。これからの闘いは情熱だけでなく、忍耐や賢さが必要になります。ろば(70号・HP参照)に「しなやかでしたたかに」とタイトルがつけられた木田先生の文章がありますがこのように生きなければならない時が来るのです。

 今回のことは歴史における宿命かも知れません。取りあえず、強く反対はして行かなければならないと思います。この法案に反対する人は皆さんの周りにも大勢おられると思います。私はそのような人としか付き合っていませんので、分かりませんが、それをまとめる程の力が自分にないのがとても悔しいです。このような時に反対のためにまとめて意見を出す必要があると思いますが、現在の日本基督教団の指導者たる方達はまとめる力を持っていないようです。昨日の朝日新聞に真宗大谷派が安倍総理に廃案要望書を送ったことや日本キリスト教協議会(NCCJ)が反対声明を出したという記事が小さく載っていましたが、せめて教団の常議員や議長名でも今のうちに出してもらいたいですね。

 ルカによる福音書9
章50節に「あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」と書かれています。このレトリックを借りますと、今回の悪法制定に反対しないことは現自民党体制の味方であるか、この法案に賛成しているということでしょうか。原発に関することや今後も続く悪法制定にも同じです。

 とても残念ですがこのように日本社会が危険な方向へ歩みだそうとする時に教会の中で社会問題について説教や論じ合うことに反対する人や信仰が存在することには大きな戸惑いを感じます。このことは教会が神様から委託された神の創造秩序を守ることや人類社会への責任を放り投げているということでしょう。自分のみが救われれば良いというのはご利益の信仰とどこが違うのでしょうか。見張りがいない町は敵に滅ぼされるしかありません。神様は教会にこの世の見張りの役割を委託したのです。確かに日本の基督教は弱く、先が見えない危機的状況におかれています。だからといって自分を守ることしか考えない、或は悪と思われることに対して目を瞑り、或は妥協しても良いわけではありません。イエスはご自分の身を潰すまで人を愛し、神の国を作ろうとしました。私たちが守るべきは潰れかけている教会ではなく、この人類社会における神の国であることを忘れてはなりません。イエスに倣って愛と正義と平和をしっかりと守って行かなければならないのです。

 以下は私が大好きな日本史家の網野善彦さんの説です。先ほど朝日新聞の真宗大谷派の話をしましたが、13世紀に浄土真宗が親鸞上人によって始められますが、それより200年後の15世紀の後半に蓮如という優れた指導者が現れます。この時に真宗は大きく勢力を伸ばします。特に当時賤視されていた職能民、芸能民、女性などが大勢真宗に入門したそうです。その前には一遍上人によって始められた、今はその名も殆ど聞けない時宗(総本山・藤原市)という鎌倉仏教の宗派が大きな力を持っていまして当時の権力と一緒になり、浄土真宗を抑え、弾圧したそうです。それが逆転するようになったのはこの蓮如以降のことのようですが、時宗の教理には善悪を問わず救われるという一元論的なものがあり、結果的には支配者の悪に対しても目をつぶる形でしたが、これに対して真宗大谷派は弾圧を恐れずに善悪を区別することで民衆と一緒になる道を選び、この時に大きな勢力となったようです。無論キリスト教の神様は善人にも悪人にも同じく太陽を上らせ、雨を降らせておられる方ですが(マタイ5:45)、この言葉自体に善悪の判断が前提されています。キリスト教の信仰は悪に対して否と断言できる中での救いの業といえるでしょう。

 今日の聖句としてテサロニケの信徒への手紙第二を選びました。それは第一とは大きく異なる内容で、極めて分かりづらい内容が書かれています。この難解さは今回の特定秘密保護法案が効力を発揮する時の状況を連想させるものです。要するに迫害や弾圧の下での表現や感情を自らコントロールせざるを得ない状況を表しているのです。

 しかし、この難解な表現の中でもはっきりした言葉が見えてきます。それは「不法の者」という表現です。3節、8節、9節に出てきますが、これは悪であり、更に申しますと真理を信じないで不義を喜んでいる者(12節)で、彼らは将来裁かれる者であることが表されています。このテサロニケの信徒への手紙第二の背景には不法の者によるキリスト者への迫害があります。このような状況がこの手紙を終末論的黙示文学のような書き方にさせたのです。

 7節に「不法の秘密の力は既に働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです。」と書かれています。このことは教会の内部にも教会の外にも不法の者が既に働いているということです。

 今の政権がどのようなことを隠そうとしているのでしょうか。どのような国を作ろうとしているのでしょうか。国家の安全という名目で、国民から自由を奪い、自分たちの権力を永久に維持しようとすることほかは何もありません。もう一つ申しますとグローバリゼーションによる人類の再編によって国家間の壁をなくそうとするこの時期に特定秘密保護法案とは一部の人びとの利益を護ろうとするだけのことです。そのためには不利な事を隠し、秘密を漏らす者を弾圧する「不法の秘密の力」が働く必要があります。この働きは七節のように、自民党政権下でもう既に始まっていることと思います。

 そしてもう一つ、安倍政権が考えている国づくりには「権威主義体制」に似たところがあります。権威主義体制とは民主主義と全体主義の中間的政治体制をいいますが、例えば指導者たる者がヒトラーのようなカリスマ性や統治能力に欠けているのを前提に、制度的に強い権限を確保できる統治システムを構築することによって安定した権力を行使しようとすることです。今回の秘密保護法案もそのような統治システムの一つであります。もう既にと申しましたが、石破自民党幹事長の市民の声に対してテロリストという発言は既に不法の秘密の力が働いていると思わせます。彼はキリスト者でありますので、この聖書を是非読むように勧めたいです。更に憲法改正によって天皇を元首に定めることは永久統治者を作ることです。元首としての天皇の存在の下では政治の変化は期待できません。このような権威主義体制の大きな特徴というのは一般国民の政治への無関心です。

 現在、このような状況の中で見張り役のマスコミは自分たちの問題なのにアリバイ造りばかりです。特にNHKがそうです。マスコミは国民の政治への関心を呼び起こせない、国家権力の道具になりつつあります。このような時には宗教、教会も沈黙を守ることが多くあります。無論、職が与えられている人々も沈黙を守ります。一体誰が声を上げるのでしょうか。

 今、私たちは近くまで来ている「民主主義を略奪しようとする者」と闘わなければなりません。その略奪者は、元来この国の全ての人の幸福を任されている者です。しかし、今彼らは一部の人の利益しか考えていません。そして、大国アメリカの手先になろうとしています。もう既に不法の秘密の力として働いています。

 最後にこのような状況の中でこの聖書の中からもう一つの言葉に出会います。主の日が来たかのように嘘つく者に出会っても諦めるな!すぐに動揺してはならない。分別をなくしてはならない。慌てふためいたりしないでほしい(2節)。騙されてはいけない(3節)といいます。時が来るとそれを抑える者が現れると(7、8節)。(2013年12月1日証詞より)
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