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      サマリアとガリラヤの間(ルカによる福音書17:11-19)

 本文の内容はイエスがガリラヤを離れ、エルサレムへ向かう途中に出会った出来事が記されています。そして11節には福音書に出てくる多くの地名のうちエルサレムとガリラヤ、サマリア三つの地名が出ていますが、今日はこの地名を中心にお話をしたいと思います。これらの地名は神学的意味の他にも、教会史的意味においても大変重要な意味を持っています。この三つの場所はパレスチナにおけるキリスト教の原点であり、宗教改革500年を迎えた現代の私たちの教会が歩むべき方向性についても示唆する内容を持っていると考えられます。具体的にエルサレムはイエスの受難と復活の場所でもありますが、原始キリスト教団の本部が置かれていた場所であり、弟子たちによる律法主義的でユダヤ人中心のキリスト教の拠点であったことは聖書を通して簡単に確認できます。しかし、それはAD70年のローマによるエルサレム破壊までのことであり、パウロの異邦人への宣教によって余り意味を持たない場所となって行きます。にもかかわらず現代キリスト教の多くの伝道者や神学者は相変わらずエルサレム教会を求めているのはどうしてでしょうか。パウロの異邦人への宣教以後私たちが忘れている場所があります。イエスの生まれ育ち宣教を始めた民衆の町ガリラヤと差別の町サマリアです。この二つの場所はエルサレムとは対照的な場所で、もう一つのキリスト教の原点と思われる場所でもあります。今日はこの二つの場所、中でも更に劣等な場所であるサマリアをもう一度思い起こし、現代のキリスト教が学ぶべきサマリア的原点の意味合いと方向性について、今日の本文と使徒言行録におけるサマリアと関連する幾つかの箇所をご紹介しながらご一緒に考えたいと思います。
 先ず、福音書を読む時はその全てがエルサレム破壊後にまとめられた文書であることを前提とする必要があります。即ち、編集の目的が原始キリスト教会のエルサレム以後の宣教方向やその存続の意味を模索するためであったことの認識です。そうしますと福音書編集段階ではもう既にエルサレム教会は意味を持たなくなります。代わって使徒言行録やパウロ書簡などを通して異邦人への宣教が中心となり、エルサレムと共にガリラヤやサマリアも消えて行くのです。いいえ。それは違います。実際にはパウロの宣教が余りにも大きくてその陰に隠れてしまっただけのことです。
 ここでルカによる福音書の本文の内容と関連する箇所について考えてみたいと思います。先ほど、サマリアやガリラヤの町が差別の町、民衆の町として理解されていることを申し上げました。12節以下ではイエスがこの二つの町の間を通っていた時に重い皮膚病の人たち(以前の聖書ではらい病人)10人がイエスに憐れみを求め叫び、その声を聞いたイエスは彼らを清めるために祭司の所に行かせますが、その途中全員が清くなり、そのうち一人がイエスの所に戻って来て感謝する場面が描かれています。その一人がサマリア人であったということです。このサマリア人を指して18節ではイエスが「この外国人」といいますが、この言葉は彼が差別を受けている人であり、同時にらい病人であることで二重、三重の差別を受けていたことを意味します。しかし、イエスは彼らを癒し、救い、中でもこのサマリア人のみを褒められる存在として受け入れているのです。この本文はルカのオリジナル報告です。不思議にも私たちが覚えているサマリア人の記憶はルカに集中しています。マルコではこの地名は1回も登場しません。マタイでは1か所のみが出ていますが、イエスの12弟子の派遣命令の箇所で「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。」という差別的内容が書かれています。そうしますと私たちが持っているサマリア人に関する良き記憶はどこから得たものでしょうか。一つはヨハネによる福音書四章一節以下の「イエスとサマリアの女」に関する記憶であり、他の全てはルカによる福音書のオリジナル内容です。その中でも最も有名な「良いサマリア人」のたとえ話もルカによる福音書1025節以下に出てくるルカ独自の内容です。
 ここでサマリア人が差別を受けるようになった歴史について簡単に説明しますと、イスラエルの統一王国がソロモンの死後南北に分断され、北はイスラエル王国、南はユダ王国に分かれます。南の首都はエルサレムで、北の首都はサマリアになります。その周辺地域もサマリアと呼ばれます。しかし、BC721年にアッシリア帝国によって北王国が滅びますが、その時のアッシリアの支配の政策として帝国内の各地から異民族をサマリアへ移住させ混血政策をとります(王下17:24-40)。その後、南のユダもバビロニアに占領され、捕囚の民として王を始め指導層の人々がバビロニアへ連れて行かれます。そして、ペルシア時代に捕囚が終り(BC548-522キュロス勅令)、捕囚からの帰還民によるエルサレムや神殿の再建が計画されますが、その時に当地に残っていたサマリア人から共働の申し入れがあります。これに対して監督官であったエズラやネヘミヤは穢れを理由にサマリア人の申し入れを断ります(エズラ4:2-5、ネヘミヤ2:19)。その後サマリアの妨害などで計画通りに運ばれず、両者間の関係は悪化し、ユダヤ人から不浄な存在として最も嫌う地域や存在として差別を受けるようになります。ですからユダヤ人はサマリアを通ってもならないし、サマリア人と付き合うことも禁止されていました。
 そうしますとルカはどうしてたとえ話や今日の本文のようにルカ独自の内容を通して、被差別民であるサマリア人を善良な人として紹介しているのでしょうか。私自身、長い間このことが気になっていました。今日はやっとその答えに近づくことができるかも知れないと思いながらこの証詞を準備しました。どうしてルカは当時の殆どのユダヤ人が敬遠し差別しているサマリアについてイエスがそれとは全く異なる態度を取っていることを紹介しているのでしょうか。
 実はルカ自身は他の福音書の著者とは異なって異邦人キリスト者でありました。特に、彼は原始キリスト教の中で異邦人への宣教に大きな関心を持っていたと考えられます。ルカはルカによる福音書のみではなく、使徒言行録の著者でもあります。使徒言行録は異邦人宣教の重要な報告書です。他の福音書の著者がユダヤ人であったことを考慮すれば、福音書の編集過程においてルカなりの方向性や他の福音書著者とは異なる独自のものを持っていたと考えられます。このことはパウロ書簡には一度も出てこないサマリアの地名がルカの著書である使徒言行録には多く出ている事実からも確認できます。しかもその内容を見ますと、普段私たちが考えて来なかった事実に気づくところがあります。それはサマリアへの宣教とそこから想像できる教会の原点としてのサマリア教会のことです。それらのうち幾つかの内容を紹介しますと、18節「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」 、81節「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」、85節「フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。」、 814節「エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。」、815節「二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。」、825節「このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。」、931節「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」などです。このようにエルサレムの破壊の前から弟子たちはサマリアへ出入りしていました。サマリアはキリスト教における重要な原点になっていたのです。もし私たちの教会が民衆の町ガリラヤと合わせ差別の町サマリアを自らの原点として覚えて行くことができましたらきっと教会も変わっていくことでしょう。ガリラヤとサマリアこそ異邦人の宣教、世界宣教を可能にさせた原点であり、今後も「サマリアとガリラヤの間」はキリスト教の求めるべき方向であり続けることでしょう。(2017年1119日証詞より)
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