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      ダンからベエル・シェバまで(サムエル記上31:1-13)

休暇を得て8月1日から30日までスイスとイスラエルを旅した。両方とも初めての訪問地であり、初めはイスラエルだけの旅を予定していた。しかし、航空券購入の時に日本からの直行便がないことが分かり、幾つかの航空会社の中からスイス経由の便を選び、スイスで9泊、イスラエルで20泊をすることにした。スイスでは2日間をアルプスのユングフラウとマッターホルンの観光に費やし、残りの日程はツヴィングリやカルヴァンなどの宗教改革者と関係があるチューリッヒやジュネーブ、バーゼルを訪ねた。ジュネーブではカルヴァンが26年間説教者として勤めたといわれているサン・ピエル教会の日曜礼拝に参加でき一番の目的がかなえられた。カルヴァンも上ったという高い説教壇で今の牧師が説教する風景はまるで中世に戻ったような錯覚を起こさせるものであった。
 というわけで以下の文章では主にイスラエルの旅について記すことにしたい。

 先ず、イスラエルを第一目的地としたのは、聖地巡礼というより、バイブルの世界をよりリアルに理解するため、当時の人々が生きていた生活の場を訪ね、その空気、気候、土地、水、食べ物などを少しでも身体で体験したいという一念での決定であった。勿論現在のパレスチナの問題は大きなテーマになっているが、一人旅をする人間にとっては多くの制限があるためテーマにはしなかった。時間は限られ、訪ねてみたいところも多かったが、自分の足に頼っているため常に取捨選択しなければならない旅でもあった。何ヵ所かの拠点を決め往復する形で、長距離の場合は一般交通手段を利用し、短距離の場合はできるだけ歩くことにした。結果的には縦長のイスラエルとヨルダン川の西岸地区のほんの一部のところを平均にして1日10qほど歩き回る旅であった。温度・湿度計は危険度を知らせるブザー音がなるため、常に切った状態で使い、汗が多く出たため二本あるアルミボトルの水は宿へ戻る時には常に空っぽであった。
 現在の町の姿や野原の風景は古代世界とは想像もできないほど変わっているだろう。町は郊外へ大きく拡がり、野原は緑が限りなく続いている。しかし、ネゲヴ砂漠に広がるライムストン(石灰岩)の風景と砂漠のような環境は、死海の畔でもエルサレムからエリコへ降りて行くところの風景でも、古代から原野のまま今へ続いている。海面下200mから400mに位置するガリラヤ湖や死海、その間を結ぶヨルダン渓谷は温・湿度も高く(死海の畔の昼間の気温は40℃を越えていた)長時間歩くことを拒んでいる。
 しかし、真夏のこのような自然環境の中でも緑は砂漠でも所々見えていて、テル・アビブの辺りからレバノン国境へ至る広い範囲の沿岸平野と地中海に面しているハイファからヨルダン川へ至るところに横たわっているイズレエル谷(平野)ではどこも緑豊かであった。しかし、その緑の根元をよく観察するとどこも細いプラスチック製のパイプが張り巡らされていて、朝夕にパイプの無数の穴から水がこぼれ出る仕組みになっていて、それがない所ではスプリンクラーが回っていた。要するに岩だらけで雨が降らない環境では自然農法では無理であるためそのような装置を使い強制農法をするしかないことである。その過酷な環境の中でもイスラエルは優秀な農産物輸出国家として知られている。確かにどの店でも野菜や果物が豊富で量り売りをしていた。以下では今回の旅を日付順で紹介したい。
 初めはやはり空港から近く、バイブルと深い関連があるエルサレムを訪ねた。人・町・交通システム・食・気候・風景などなど全てが初めて経験するものばかり。エルサレムからはバスで死海の畔のマサダ要塞、クムラン、ヨルダン川西岸地区にあるベツレヘムとエリコを訪ねた。そして、初めて経験する安息日には驚いた。全ての交通手段が運行を中止するため長距離移動が不可能となり、店や食堂も全て閉じてしまうので食料を金曜日の午後の早いうちに購入しておかなければならなかった。シナゴーグでの礼拝も初めて参加した。写真で見たことのあるエルサレムとベツレヘム(パレスチナ)の間を遮る高いコンクリートの壁が山の方へ長く伸びているのを見、その壁の向こう側である西岸地区への移動の時はとても簡単に通れるが、反対側のエルサレムへの移動は複数の検問を受けなければならず、朝夕の通勤時には長蛇の列になるため何時間も待つこともあると聞いた。
 次はバスでベエル・シェバまで行き、他のバスに乗り換え、ネゲヴ砂漠の中央にある小さい町ミツペー・ラモーンへ行くことにした。降りるところはこの街の幾つもあるバス停の一つで、間違えると次のバスが来るまで待つか、真昼の砂漠の町を歩かなければならない。しかも車内電光案内板はヘブライ語とアラビア語しかない。結局頼れるのは自分の目で窓の外と地図を必死で確認するしかない。その関門をうまく済ませた時には旅への自信が得られた。町の南側には浸食によってできた巨大なラモーン・クレーターがある。砂漠の厳しい環境を経験するには最もふさわしい場所であった。旅の幸運にも恵まれ、夏にはほぼ不可能に近く、冬にもまれにしか見られないといわれている不思議な自然現象、朝日が昇る時に砂漠で発生した霧がクレーターへ流れ落ちる素晴らしい光景に出会った。
 次はネゲヴ砂漠の入り口にあるベエル・シェバへ移動し、そこは古代アブラハムとイサクとヤコブが住んでいた町で、町から離れた場所にテル・シェバという世界遺産に登録されている国立公園があり、アブラハム当時の遺跡を観ることができた。ベエル・シェバには鉄道の南側の始発駅があり、そこから次の拠点へ移る時には初めて列車に乗って北のハイファまで行き、バスに乗り換えてイエスの生まれ育ったナザレへ移動した。ナザレの町は大きい町でその中心部と周辺にはイエスを記念する多くの教会や修道院が散在していた。ホテルの前にある「受胎告知教会」を見学後、ナザレ山の一番高いところにある「青年イエスの教会」まで登り、ナザレの全景と遠くに見えるイズレエル平野を眺めることができた。町の一角にある「ナザレ村」にはイエス時代の生活環境を再現し、実物の羊やろば、当時の服装をした人などがいて、レクチャーしてくれる有意義な施設があった。

 ナザレからは山を下り、イズレエル平野一帯に点在している旧約聖書との関連場所を訪ねてみることにした。先ず平野中央の南側にあるテル・メギッド国立公園を訪ねた。メギッドは上記のテル・シェバと現在も発掘が続いている北ガリラヤのテル・ハツォルと3ヵ所がセットで世界遺産に登録されている古代町の一つである。「テル」とは高い場所を意味するが、祭儀のための高台があり、防御のための戦略的な場所でもある。メギッドの前方に広がるイズレエル平野は地中海からヨルダン川まで横切る形になっていてメソポタミアとエジプトを結ぶ国際交易路になっていた。その平野部には肥沃な土壌が拡がっていたため、この場所を巡っての戦争が絶えず起き、遺跡には馬小屋の跡が残っていて戦車隊があったことを知らせてくれる(列王記下8・4)。そしてヨシヤ王がエジプトの王ネコに殺された場所でもある(列王記下23・29)。テル・メギッドとシェバでは地下水路が発見され、訪問者は見学が可能になっている。この他に戦略的な目的で造られた地下水路で有名なのは、エルサレムのダビデの町にBC7百年頃のヒゼキヤ王の時代に造られた長さ533mのトンネルである。現在でもトンネルの中を水が流れていて、見学者はそこを歩いて通れるようになっている。
 そして、このイズレエル平野の北側にはナザレの山で始まるガリラヤの山地が広がり、南側にはサムエル記上の31章に記されているイスラエル軍とペリシテ軍との戦闘でサウル王やその一族が最期を迎えたギルボア山があり、そこからサマリア山地が始まっている。そして、このギルボア山の裾野が広がる麓とヨルダン川の間にあるベト・シェアン国立公園はサウル王の遺体をさらしたといわれる場所で、ローマ時代に造られた列柱や劇場、大浴場などの跡が今でも多く残っている。
 次に訪ねたところはガリラヤ湖畔で一番大きい町のティベリヤである。ナザレからティベリヤまでは約30qの距離で、幾つかの山を越えなければならず夏場に徒歩で往き来するには厳しい環境である。ガリラヤ湖の周辺もほぼ山地であるためイエスを求めてエルサレムやシドン(地中海沿岸)から多くの人が集まったというのは結構大変な事であったと思われる。ここからはガリラヤ湖の南側で始まるヨルダン川と、最も北側のレバノンとの国境近くにあるテル・ダン国立公園を訪ねることができた。ダンはサムエルやダビデ王の時代からベエル・シェバと合わせて北から南までを、即ち古代イスラエルの全地(サムエル記上3・20)を象徴的に表す言葉である。
 テル・ダン国立公園はバス停があるキブツ・ダンから公園の入口までは2qの距離があり、暑い昼間に往復4qを歩かなければならずその上、1日5本しかないバスを待つのも大変だった。公園の北側にテル・ダンの遺跡があり、イスラエル王国が南北に分裂した時に北イスラエルのヤロブアム王がエルサレム神殿の代わりに造ったとする祭壇(列王記上12・28、29)が残っていた。そばには幾つかの湧き水の場所があり、その水は公園内で水量の豊富なダン川となり、やがてヘルモン山を水源とするヨルダン川と合流し、ガリラヤ湖へ流れていく。鬱蒼とした森が南側に広がり、多くの子連れの家族が水遊びをしていた。
 次の場所のハイファはアハブ王時代にエリヤとバアルの預言者が戦ったといわれているカルメル山の麓で、山の嶺が終わりその先が地中海へ落ちて行く頂上にエリヤが留まっていたといわれている洞窟と共に、カルメル修道会の本部がある。またその山の麓には戦いを終えたエリヤがアハブ王の脅威から逃れ隠れていたといわれている洞窟もある(列王記上18)。ハイファでは南側へバスで1時間程のところにパウロがローマへ向かって船出をしたカイザリアの遺跡を観に行った。次の日は単なる観光を目的に地中海沿いの一番北側のレバノンとの国境にあるローシュ・ハ・ニクラという岬へ行き、波の浸食による洞穴と中まで入ってくる海の水色や響く波の音が壮観であった。最後の日は空港近くのテル・アビブに泊まり、地中海へ沈む夕日を眺めることで旅を終えた。旅の間に健康や安全が守られたこと、多くの経験が得られたことを神に感謝する。(2018年9月2日証詞より)
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