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      イタリアの旅で学んだこと

  この夏、8月20日から15五日間イタリアを旅した。初めての家族三人での海外旅行であった。ローマの空港からレンタカーを借り、アッシジ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノ、モンテ・ビアンコ、ピサ、ローマ、ナポリ、ポンペイ、アマルフィ海岸などを廻る3千キロの旅であった。出かける前にイタリアに関する書物を読みながらイタリアが一つの国家としてまとまったのは1871年のことで、世界で一番小さい国家バチカンが市国になったのも1929年ムソリーニ・ファシズム政権下であったことを初めて知った。そして、イタリア半島の中央部に世界で五番目に小さい国家サン・マリノ共和国や半島の南の海に浮かぶ島で1968年イギリスから独立したマルタ共和国が存在するのも初めて分かった。
 このように新しい知識を蓄積しながら準備はしたものの長い歴史やその膨大な遺跡群、多様な伝統と文化、そしてなによりルネサンス以後の優れた建築や芸術作品、そしてキリスト教が所蔵している数え切れないほど多い象徴などを理解するのは極めて困難なことも分かった。旅で出会ったものをできるだけ多く記憶や写真に収めることが唯一の方法であるが、その上、自分なりに漠然たるテーマとして決めたのが「墓」ということであった。それは20代の時に読んだ『カタコンベ』という本に感動を受けた記憶があり、この機会にカタコンベを是非見たいと思っていたことや、カトリック大聖堂のクリプトという空間に対する興味からであった。この二つの場所は「墓」というテーマに深く関連する場所であり、同時にキリスト者にとって「教会とは何か」を教えてくれるトポス(Topos意味の場)ではないかと思っているためであった。
 カタコンベ(Catacomb)とは地下墓地のことをいう。元々はローマのアッピア旧街道にある「墓地へ降りるという意味」の地名であったようだが、現在は初期キリスト教の時代に迫害から逃れるための避難所・礼拝場所・墓を意味する代名詞のようになっている。
 そして、クリプト(Crypt)とは古いカトリック大聖堂などの礼拝堂の祭壇の下に造られた空間で、日本語で地下礼拝堂・納骨堂と訳されているように、その中に殉教者や聖人の骨や遺体を安置し、故人を記念する部屋をいう。カタコンベを思わせる場所でもある。このことは教会がイエス・キリストと殉教者の墓の上に建っていることを教えている。
 私がクリプトに関心を持つようになったのは、初めてのヨーロッパ旅行であった昨年、スイスのチューリッヒのグロース・ミュンスター教会を訪ねた時からである。それは宗教改革者ツヴィングリが説教者として長年務めていた教会であり、西暦800年に西ローマを統一し、教皇レオ3世から西ローマ皇帝として、或いは初代神聖ローマ帝国の皇帝として戴冠されたカール=シャルルマーニュ大帝(今回訪ねたローマのバチカン博物館にラファエロ作の戴冠式の絵があった)が、その場所から3人の殉教者の墓が発見されたことで、その上に礼拝堂を建てたといわれている。祭壇の下に空間があることを見て、それがクリプトであることを初めて知ったのである。宗教改革によって改革派教会となり、当時の殉教者の遺物や装飾は何にも残っていない空間にヨーロッパで最も古いといわれているカール大帝の像だけが残っていた。
 今回の旅で見た最初のクリプトはアッシジの聖フランチェスコの墓である。大聖堂の地下の更に地下にあるその場所は、中央に納骨堂のような構造物や装飾があり、人々がそこを廻るようになっていて大勢の人々が訪ねていた。次に見たミラノ大聖堂のクリプトは、階段を下りた部屋に向きあう形で二つの部屋があり、そこにはガラスの棺があり、遺体の影が見えるようになっていた。
 カタコンベはローマ郊外のアッピア旧街道の一角にあり、中でも一番大きいサン・カリッスト・カタコンベが公開されていた。ガイドの案内で中に入ってみると、地下は4階構造で、各階に二人しか通れない通路が迷路のようになっていてその先は暗黒へ続いていた。通路の両側には四段か五段の横長の墓がびっしりと掘られていた。所々に空気の入れ替えや光を取入れている竪穴と、4-50人ほどが入れる礼拝の空間があった。そして、迫害を逃れそこで生活していた痕跡として食器やランプなどが置かれていた。また所々に壁画があり、上の写真には説教の姿や洗礼式の模様などが描かれているが、他の場所には十字架や魚などキリスト教を象徴する絵などもあった。通路の長さ20キロで約10万人が葬られていたと。そして、その周辺には30ほどのカタコンベがあり総五百キロとなると。
 西暦313年、コンスタンティヌス1世のミラノ勅令によるキリスト教公認で迫害が終わり、ローマではカタコンベでの礼拝が終わり、地上に礼拝堂が造られるようになった。皇帝によって最初に認められた礼拝堂がローマで最も古い教会、サン・ジョバンニ・ラテラーノ大聖堂で、初代バチカンである。そこはペトロの墓・カタコンベの上であると。カタコンベ、クリプト、殉教者や聖徒の墓の上に建つ教会、今の私たちプロテスタント教会も、見えない形でそれらの伝統を受け継いでいると思っている。
 今回の旅で訪ねた幾つかの大聖堂で見た多くの共通点のうち一つが入り口の扉である。扉には聖書や聖人の物語が浮き彫りとして美しく描かれていて、それを当時の最も優れた芸術家に造らせたのである。殉教者や聖人のお墓を兼ねている大聖堂の門は、天国の入り口と思われたためである。今も新・旧バチカンの礼拝堂には「天国の扉」というのがあり、右端の扉の内側をコンクリートで固め、通れなくさせたものをカトリックの聖年となる年に内側を壊し、その年にその門をくぐる人は教皇によって償われるという扉である。聖年というのは旧約聖書のヨベルの年を意味し、以前は50年毎であったものが現在は25年毎になっていると。

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