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      イエスが愛した家族(ヨハネによる福音書11:17—27)

新約聖書の福音書には幾つか兄弟や家族をテーマにした話があります。例えば、イエスの弟子の中には兄弟の人がいますが(マタイ4:18以下)、その内ヤコブとヨハネの母が二人の息子のためイエスに願い出る話もあります(マタイ20:20以下)。また親が子どもの病気のことでイエスに治療を頼む話もあります(マタイ9:18以下、15:21以下他)。たとえ話の中では「放蕩息子」の話が有名です(ルカ15:11以下)。そして、イエスととても親しくしていた家族の物語でマルタとマリア姉妹の話があります。この姉妹の話はルカ(10:3842)とヨハネ(11:11211)に内容が異なる二つのバージョンがあります。うちヨハネのバージョンには男兄弟のラザロも加わり、新約聖書における最も長い家族物語になっています。物語のテーマは幾つかに分けられ、ラザロの死(11:116)と生き返らせる(11:3844)話やイエスの身体に香油を注ぐ話(12:18)などが含まれています。

このマルタとマリアとラザロの家族物語はヨハネ独自の内容が多く、事実関係に疑問がないわけではありませんが、イエスの最も人間的な姿に出会うとても珍しい物語です。例えばラザロが死んで四日目の日にお墓の前で姉妹を始め、慰めに来ていた人々が泣いていると、イエスも一緒に悲しみ、涙を流す場面です(11:28以下)。この家はエルサレムから近いベタニアという村にあり(11:18)、イエスは時折この家を訪ね、親しくしていたと記されています。イエスのこの家族への思いは115節に「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」と書かれているほどです。

今日の本文はこの家族物語の中の「イエスは復活と命」と見出しがついているところです。この箇所を選んだ理由は先週が復活節のこともありますが、翌日の13日に私たちが敬愛する阿蘇道子さんがご自宅でこの1年間患っておられた胆のうがんで亡くなられましたことをご一緒に覚えたく選びました。享年77歳です。願わくはラザロの死の前で涙を見せたイエスの慰めがご遺族や生前親しくしておられた皆様にありますように。

ヨハネによる福音書におけるこの家族物語の位置づけは続く1212節以下のイエスのエルサレム入城の話で分かりますように、イエスにおいても最期を目前にしていた頃の話です。親しくしていた人の死はイエス自身の死ともオーバーラップしているような物語の構成です。死と復活、悲しみと喜び、しかし、その間には最期の別れを準備する切ない姿も見えます。二度と会えないかも知れないイエスをベタニアの家の姉妹は悲しみを抑えながら、誠意を尽くして食事を準備し、その席上で彼女らが一番大切に持っていた香油を取り出して来ます。121節以下の話です。

過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

非常に高価なナルドの香油だと記されていますが、ブランドや値段による価値を示すものではなく、この家族が共に自分たちが持っているものから最高のもので心を尽くしたことを表しているのです。この香油をマリアが代表してイエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐったというこの話は心を震わせるほどの感動の物語です。とても美しい場面です。このようにしたいと思う相手がいることはとても幸せなことです。イエスもきっと幸せだったでしょう。ベタニアはガリラヤから遠く、無縁の場所であり、この三人兄弟姉妹もあかの他人だったのに、何処で、何時出会ったのでしょうか。生と死の境界線に立っていたこの時に心を許し、身を寄せるところがあったことは大きな慰めになったでしょう。

何故かこの場面は直ぐ後に続く13章1節以下では今度はイエスが弟子たちの足を洗う場面があり、二つの物語がさりげなく重なっているのを発見します。人に仕える教えであると同時に、愛する弟子たちへの別れを前にした祝福でもあり、最高の情誼でもあったと思います。あなたたちにもこのような出会いがありますようにと。

今日の本文は、ラザロの死のことでマルタとイエスとの間の会話です。マルタの諦めの言葉にイエスはラザロが生き返るといいます。しかし、マルタはその言葉を軽く無視します。「最後の時にですね。」と。このかみ合わない話しあいは27節まで続きますが、その後の結果としてヨハネはラザロの蘇りを伝えています。そして、復活したラザロの名前はどこにも出ていません。ラザロはまだ若かったのできっとやり残しがないように生きていた後に再び死んだでしょう。

マルタの考えに同調しているのではありませんが、死んだ人を蘇らせ、また死の世界へ送らなければならないのは残忍ですね。生きたまま命を伸ばしてくれることなら有難く受け止めますが、二度の死を味合わせるのは嫌です。その両者の関係から見える互いに心を尽くしている姿を身に着け、納得の行く死の準備を普段からしておきたいです。

道子さんはこの1年間ご自分の余命を知り、ご自分が納得の行く生き方をされたと思います。1日、また1日。一瞬、また一瞬が納得できるものなら不安の中でも喜びを感じると思います。また最後まで誰の手も借りずに精一杯生きておられた様子です。亡くなられる前の晩にも長い間ご無沙汰していた友人に電話をかけていたことが分かりました。前号の「ろば」(224号)の私の目線「キョロキョロ、のろのろ」はお別れの文章になると思い書いて下さったのでしょう。文の中で紹介して下さった自画像「77歳」(下)は抽象画のように見えますがご自分の最期の心境を表したように見えます。

39日の道子さんの退院の日に最後の外食に同伴しました。お蕎麦を美味しく召し上がり、お好きだと言い味噌田楽を注文し半分を私に譲ってくださいました。いつも「食べ物が一番記憶に残るのよ」と仰っていました。味噌田楽は私の大事な記憶になりました。帰りの車で思い出したことで、「阿蘇先生と別れてもう10年になりますね」と言ったのが別れの言葉になってしまいました。思い出してみますと、1992年初めて来日した日からこの日まで道子さんは陰で私のことを支えてくださいました。彼女は私にとっては英雄です。人生の教師であり、いつも見守ってくれる姉であり、同志でおられました。実際に彼女と一緒に話をしていると何でもできました。阿蘇宅は私にとってベタニアの家であり、ご夫妻はあの三人の兄弟姉妹のような存在でした。最高の出会いでした。

ラザロの復活物語は当時、終末が差し迫っていると思い創られた物語です。これで死んだ人が生き返ると思う人はいないでしょう。ただ、死ぬか生きるかの問題以前に、生きている人の間のこれほど美しい関係は、復活の信仰以上に大事なものではないかと思います。信頼し合う間柄、敬愛し合う間柄を復活させますと、このコロナ危機に絶望している世界に希望が蘇るのではないかと思います。それこそが復活の信仰ではないかと思います。このような意味で復活思想は人類が造り上げた最も素晴らしいものだと思います。(2020419日証詞より)

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