戻る
      聖書の旅(マタイによる福音書12:20—24)

新型コロナのため今年の休暇旅行は中止となり報告は出来ませんが、今日は皆さんと聖書の旅に出かけようと思います。どうぞご一緒に旅を楽しんでください。今日は聖書の地名を地図で確認しながら旅をするつもりです。新共同訳聖書の後部または別紙の付録の中から聖書の地図六番、「新約時代のパレスチナ」を参照してください。
 地図の中央部には縦の方向にヨルダン川が表示されています。ヨルダン川の北側(上)にある湖がガリラヤ湖、南側(下)にあるのが死海です。ガリラヤ湖の水面は海抜マイナス200メートル、死海はマイナス400メートルのところに位置しています。そのため水はヨルダン川の北から南へ流れ、死海で行き場を失い蒸発します。死海の塩分の濃度は約30%で約3%の海水の10倍も高いため魚類は生殖できない文字通りの死の海です。西湖岸には死海文書が発見されたクムランとマサダ要塞の跡が隣接しています。エルサレムは地図の下の尺度表示で比べますと死海から西へ約20キロのところにあります。町は標高750800メートルのところにあります。もし死海からエルサレムまで行くとしますと1200メートルの山を登らなければなりません。
 現在の地図ではヨルダン川を中心に東側(右)はヨルダン王国、西側(左)がパレスチナ西岸地区とイスラエルになりますが、新約時代のユダヤ人の主な地域は西側で、ガリラヤとユダヤ、それにサマリアです。
 地図上の灰色の太い点線は支配地の区分です。このように分割する前にこれらの全域を治めていたのはヘロデ大王で、紀元前37年からローマ帝国の委任統治を行っていました。聖書にはイエスの誕生の時に子どもたちの虐殺者として登場します(マタイ2章)。年代のズレが少しありますがヘロデは紀元前4年に死にます。その後3人の息子に分割されます。ユダヤとサマリアを長男のヘロデ・アルケラオ王(マタイ222)が、ガリラヤとペレアをヘロデ・アンティパス領主が、イトラヤとトラコンをヘロデ・フィリポ領主(ルカ31)が支配するようになります。この中で洗礼者ヨハネの殺害とイエスの裁判に関わりのあるのがヘロデ・アンティパス領主です。称号を王と領主に区別しましたのは聖書の表記に従ってのことで、ローマがユダヤ・サマリア地域の支配者のみに王という称号を与えたからです。因みに領主は英語でtetrarch4分の1の統治者を意味します。
 長男のアルケラオ王は紀元6年に死亡し、その後暫くはローマの総督ポンティオ・ピラトによる直接支配となり、イエスの活動はこの時期に該当します。そして、イエス以後にアルケラオ王の息子ヘロデ・アグリッパⅠ世(紀元3744年、使徒12章)と孫ヘロデ・アグリッパⅡ世(使徒2526章)が王となります。この他にもう一人ローマ居住のベオトスがいます(マタイ143、記・フィリポ)。ヘロデ・アンティパスの兄弟です。これで聖書には七人のヘロデが登場しますのでとても混乱します。このベオトスの妻のヘロディアを兄アンティパスが奪い、元の妻を捨て再婚したことで、洗礼者ヨハネがヘロデを批判し続けたことが原因でヨハネは殺されます(マタイ141以下)。
 地図に戻りまして、洗礼者ヨハネが活動をしていたところは死海の北、ヨルダン川の東のベタニアです(ヨハネ128)。そして、このベタニアと同名の町がエルサレムの近くにもあります。ここはイエスが親しくしていたマルタとマリアの姉妹、姉妹の兄弟でイエスが死から蘇らせたラザロが一緒に住んでいる町です(ヨハネ11章)。
 今度はガリラヤ湖の周辺を見たいと思います。湖の北の方にもヨルダン川が延びていますが川を基準に東のトラコンと西のガリラヤの二つの地域に分かれています。そして川の東にベトサイダが、西にカファルナウムの町があります。ベトサイダはイエスの最初の弟子、シモン(ペトロ)とアンデレの出身地です。川を挟み支配者が異なるというのはこの両岸の町に通行税を取る収税所があったと考えられます。そして、カファルナウムのすぐ上にコラジンがありますが、ガリラヤ湖で獲れた魚は先の二つの町に水揚げされ、塩漬けされたものをコラジンから地中海の港町ティルスを経由し、ローマを始め地中海の沿岸都市で特産品として高価に売られたようです。そのためコラジンからティルスの間には貿易路があり、コラジンにも収税所があったと考えられます。即ち、これらの地域はイエスの主な活動の現場で多くの弟子が選ばれ、中に何人もの収税人が登場するのもこのような地域だからでしょう。今日の聖書には21節には今の話と関連する地名が出ています。
コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。
 ここに地中海岸の町ティルスやシドンが出ています。再び地図に戻ります。地中海に沿って上にシドンがあり、その下にサレプタがありますがここは列王記上17章のエリヤの物語の背景となる町です。その下にティルスがあります。この辺はフェニキアという地域になっていますが、紀元前4世紀までは大きな船団を持ち、地中海全域で支配的に貿易を行っていた国家でありました。マルコによる福音書731節にはイエスがこの地域を訪ねたことが記されています。
それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。
 これまでの話と合わせながら地図を見ますとこの巡回の道程の出発と到着地をカファルナウムとすれば、行きはコラジン経由でティルスへ行ったという推測ができます。
 ここにデカポリス地方が出ています。ガリラヤ湖の南東に広がる地域を指します。この地域はヘロデ一族と関係のない地域で、デカはギリシア語で10を意味し、ポリスは都市国家を意味しますので、この一帯には異邦からの移住者らが造ったヘレニズム的自治都市で1‐位あったことからこの名がつけられています。地図にゲラサが出ていますが、ここはレギオンという悪霊に取りつかれていた人をイエスが癒す話の背景となった町です(ルカ8)。物語の中に人から出た悪霊が近くで飼われていた沢山の豚の中に入ったという話がありますが、ユダヤ人にとって豚は不浄の物であることからこの地域が異邦人の文化の下にあることが分かります。
 今度はガリラヤ湖の西海岸沿いを見たいと思います。ティベリアスがあり、現在でも同じ場所に同名で残っている一帯では最大の町です。紀元20年頃にヘロデ・アンティパスが宮廷を建て、ガリラヤの首都にします。彼がこの自分が造った町に自分の名前ではない当時のローマ皇帝のティベリアスの名前を付けたのは、父親と同じく空席のユダヤ・サマリアを含む地域の支配者としての王の座を狙い、皇帝に媚びるためであったと思います。ローマの貴族のへロディアを妻にしたのもこのことと関連があるかも知れません。
 また地図には載っていませんがティベリアスとカファルナウムとの間にマグダラという町があり、そこは復活の朝にイエスの墓に行ったマグダラ・マリアの出身地です。
 地図を見ますとガリラヤは湖だけでなく内陸部までの広い地域です。イエスの故郷ナザレは内陸深いところにあります。ガリラヤ全域はユダヤ・サマリア地方と同じく殆どが山地です。若いイエスや弟子であってもガリラヤの街々を移動するのは結構大変なことであったと思います。
 今日の旅と関連する人々を示す聖句はルカによる福音書31節、2節です。
皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。
 今日の旅の隠れ主人公である洗礼者ヨハネとイエスは活動中にこの地図の外へ一度も出ていません。しかし、この狭い地域の中で二人の活動環境は大きく異なります。ガリラヤ湖と死海、町村と荒れ野、それに生パターンも移動と固定、教えと洗礼、飲食と断食(ルカ533)など、同時代に同じ神を信じる者同士でここまで異なるとは驚きです。この狭い地図上の空間は当時から、多様な生き方を経験できる宇宙的な環境であったに違いありません。(202082日証詞より)

戻る