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慰めの預言(エレミヤ書45:1—5)

 今日選びましたエレミヤ書45章は5節しかないエレミヤ書で一番短い章です。この45章を選びましたのは二つの理由がありました。一つは、「バルク」という人物について知りたく選びました。もう一つは、証詞のタイトルのように慰めの預言であるためです。
 
先ずバルクという人物について調べたいと思います。エレミヤ書でバルクの名前が最初に登場するのは32章です。エレミヤがゼデキヤ王を批判する預言をしたことで宮廷の獄舎に拘留されていた時のことですが、その時にエレミヤのいとこであるハナムエルという人が来て、アナトトにある畑を買い取ってほしいと頼みます。このことはルツ記でも出ている嗣業の土地を一番近い親族が代わりに買い取ることです。この時にエレミヤはその要求を神の意志として受け止め、アナトトの畑を買い取ります。しかし、どう見てもこの時のエレミヤは拘留されている身であり、王国もバビロンに怯えていた時期で土地を買い取る状況ではありませんでした。しかし、エレミヤのこの行為を通して神は将来イスラエルを再びこの土地に戻すという希望を伝えようとしたのです。その32章の14節と15節の預言です。
「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』と言われるからだ。」
 この土地契約の時にエレミヤの代理人の役を務めたのがバルクです。3212節です。
マフセヤの孫であり、ネリヤの子であるバルクにそれを手渡した。いとこのハナムエルと、購入証書に署名した証人たちと、獄舎にいたユダの人々全員がそれを見ていた。
この後バルクの名前が登場するのは36章の全般です。特に注目したいのは364節以下です。
エレミヤはネリヤの子バルクを呼び寄せた。バルクはエレミヤの口述に従って、主が語られた言葉をすべて巻物に書き記した。エレミヤはバルクに命じた。「わたしは主の神殿に入ることを禁じられている。お前は断食の日に行って、わたしが口述したとおりに書き記したこの巻物から主の言葉を読み、神殿に集まった人々に聞かせなさい。また、ユダの町々から上って来るすべての人々にも読み聞かせなさい。この民に向かって告げられた主の怒りと憤りが大きいことを知って、人々が主に憐れみを乞い、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。」そこで、ネリヤの子バルクは、預言者エレミヤが命じたとおり、巻物に記された主の言葉を主の神殿で読んだ。
ここで分かりますのはバルクが字の読み書きができる人であったということです。因みにエレミヤが字の読み書きができたのかは分かりません。もしかするとできなかったかも知れません。今から2600年前のことです。当時バルクが使っていたのがヘブライ文字であるかどうか分かりませんが、文字の読み書きができるのは専門の分野で、その教育を受けた限られた人しかできない時代でした。バルクは多分その分野の人で、32章ではエレミヤの代わりに土地契約の立会人となり、36章ではエレミヤの預言を巻物に書き止め、それをエレミヤの代わりに神殿で読み上げる役を務めているのです。当時の宮廷や神殿において文字を扱う専門職の人を書記官と呼びました。この3612節に宮廷の書記官の名前が並べられています。
王宮にある書記官の部屋へ下って行った。そこには、役人たちが皆、席に着いていた。書記官エリシャマ、シェマヤの子デラヤ、アクボルの子エルナタン、シャファンの子ゲマルヤ、ハナンヤの子ツィドキヤをはじめすべての役人たちがいた。
ヨシヤ王がメギドでのエジプトとの戦闘で戦死した後、宮廷内にはエジプトを支持する体制側とバビロンを支持するエレミヤのグループに分かれた対立構造が生じます。36章にはその一部の様子が描かれています。例えば23節にはヨヤキム王が自分を批判するエレミヤの預言が書かれた巻物を王宮の暖炉の火で燃やしている場面が書いてあります。
ユディが三、四欄読み終わるごとに、王は巻物をナイフで切り裂いて暖炉の火にくべ、ついに、巻物をすべて燃やしてしまった。
また宮廷内にはエレミヤを支援し、保護に努める人々もいました。例えば、19節にはエレミヤとバルクの味方をしている人たちが二人に身を隠すように勧めています。
そこで、役人たちはバルクに言った。「あなたとエレミヤは急いで身を隠しなさい。だれにも居どころを知られてはなりません。」
そのようなところでバルクの働きは大変重要な意味を持っていました。書記官というのは一般的に宮廷や神殿に属して働いている権力側の役人です。即ち、王の記録や契約文書、そして神殿での祭儀用の文章などを扱う人々でした。そのため記録によりますと古代中近東の国家では彼らを養成する学校もあったようです。彼らによってギルガメシュ叙事詩のような大作も書き残されています。
 ただイスラエルには王の記録だけでなく、律法書や預言書などをまとめる人々が存在していたと思われます。書記官の殆どは権力側の代理人を務めていましたが、聖書の編著者の場合はその多くが預言者と共に在野のグループに属する人であったと考えられます。エレミヤを支えていたバルクも反体制側の記録官と言える存在だったのでしょう。
このことが意味するのは大変重要なことです。数週間前の証詞で預言者エリヤやナタンの話をしましたが彼らはサムエル記や列王記に王の歴史の一部として記されている人物ですが、紀元前8世紀以降の預言者はそれぞれ名前を持つ書物があります。例えば、アモス、ホセア、イザヤ、エレミヤ、ミカ、ハバククなどです。彼らを専門用語として記述預言者と言います。同時に審判預言者とも言います。神の裁きの預言を多く残しているためです。彼らは王の足を引っ張るための存在ではなく、王朝時代に神()の側で権力批判をし続けた真の指導者であったと思います。そのため常に体制側より少人数で動き、そういった意味でバルクはとても貴重な存在でありました。エレミヤ書の多くの部分はバルクが書き残したものと考えられます。
 バビロン捕囚はこのような状況を変えました。体制側の多くの書記官らも捕囚として連れて行かれますが、同時に王朝は途絶え、彼らの身分も変わります。故郷ユダやエルサレムを思う望郷の民となり、過ぎし日のエレミヤの預言を再考する立場になります。バビロンで聖書の大きな輪郭を構想したと思います。そのための資料の収集や保存などを行い、哀歌を書き残しました。それが伝統としてクムランのエッセネ共同体にも伝わり、福音書をまとめるのにも大きな力となったと思います。
 本文の45章は、43章でエレミヤとバルクがバビロンの報復を恐れて逃れる集団によって強制的にエジプトへ連行されますが、彼らは飢えと剣で一人残らず死ぬという44章での絶望的な神の託宣の後、エレミヤの口を通してバルクに与えられた希望の預言です。
あなたは、かつてこう言った。「ああ、災いだ。主は、わたしの苦しみに悲しみを加えられた。わたしは疲れ果てて呻き、安らぎを得ない。」
この3節の言葉が絶望の中でのバルクの苦悩でありましたら、エレミヤはバルク以上の苦悩の持ち主であったでしょう。4節はバルクへの神の慰めの預言です。
バルクにこう言いなさい。主はこう言われる。わたしは建てたものを破壊し、植えたものを抜く。全世界をこのようにする。
この言葉は絶望のように見えますが希望の預言です。エルサレム神殿やダビデ王朝が滅びの運命となるのは神の意図によるもの、同じく神は将来バビロンも滅びの運命へ導くことができるという内容です。次は5節です。
あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ、と主は言われる。ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える。
 私たちは新型コロナウイルスの脅威下で既に1年を過ごして来ました。もう疲れました。私たちは今何を期待すれば良いのでしょうか。オリンピックの開催でしょうか。国の経済、株価のことでしょうか。皆の命、皆の生活、皆の健康だと思います。大きな期待感より、命を守って下さるという神のバルクへの約束は大きな慰めであったでしょう。同じく私たちにも。(2021214日証詞より)
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